カブ吉くん 月まで走れ(小説)ー4

2010年9月

 

 9月になって最初の水汲みツーリングに行った後、僕の走行距離が5,000kmを越えたので、吉村さんのお店でスパークプラグとエンジンオイルの交換をする事になった。

 僕に付いているスパークプラグは、新車装着の状態では純正品のデンソー社製のものが付いていた。ちなみに07型カブの新車の場合は、デンソー社製若しくはNGK社製のどちらかが標準装着されている。ジョニーは昔から両社のスパークプラグを使用しているので、それぞれの特性は充分に理解している。それを踏まえた上で、今回はエンジン自体にまだ完全に当たりが付いている訳ではないので、引き続き同じデンソーの純正品との交換という事になった。

 

 僕はいつも通りバイクリフトに乗せられ、エンジンの下にオイルトレーが置かれる。そして、17mmのメガネレンチを使ってオイルドレンボルトが緩められると、約2,000km使用されたオイルが排出されて行く。

 その間に吉村さんはプラグキャップを外し、エアーコンプレッサーを使ってプラグ周りのゴミを飛ばした後、プラグレンチを使ってスパークプラグを取り外す。

「焼け方は、こんな感じだな」吉村さんは外したばかりの、やや白っぽく狐色に焼けたスパークプラグをジョニーの方に差し出した。

「燃料噴射だとこんな色だよね? 問題ないんじゃないの」ジョニーが感想を言う。

「そうだな、問題ないな。それで燃費はどうだった?」吉村さんが続けて聞く。

「平均すると、63km/ℓくらいかな」事前に計算しておいた数値をジョニーが伝える。

「OK、悪くないな」ニコリと吉村さんが微笑む。

 

 二人は僕のプラグ交換の走行距離を、事前に5,000kmと決めていた。常用する回転数と気筒数から考えて、10,000kmだと電極の消耗が激しく、プラグギャップが広くなり過ぎる。二人の過去の経験から考えても、アイドリングが安定しない、中間加速でもたつく、燃費が悪い等々、燃料系の不調と考えてキャブレターをアチコチいじっても原因が分からず弱っているような時に、プラグを交換してみたら全てが解決してしまったと言う事がいくつもの事例としてあるらしい。途中で点検・清掃・調整を必ず実施して使い続ける事と、短い距離で交換するコストとを比較すると、エンジンの調子を快調に保つ合理性を考えて後者の方がいいだろうという結論になったようだ。

 その後、前後のブレーキ調整とタイヤのエアー圧調整をしてもらって、僕の整備は30分くらいで終わった。

 

「明日も行かなくちゃ行けないんだよなぁ……」ジョニーが疲れたように言う。

「どうしたんだ、連荘か?」吉村さんがビックリして聞き返す。

「そうなんだよ。今週は水がたくさん必要なんだってさ……」ジョニーが若干不満そうに返事をする。

「そうかぁ~、カブ吉も大変だなぁ~」吉村さんがチラリと僕を見ながら言う。

「カブ吉は大丈夫なの! 大変なのは俺!」と、ジョニーはすかさず切り返す。

お店にいた他のみんなが笑っている。

『えっ!?』

 知らない間に、僕は名前を付けられていたの? それもさしずめ、人間で言ったら『太郎』とか『花子』みたいな感じの名前のような気がする……。

 でも、人間の世界でも同姓同名はたくさんいるみたいだし、ずいぶんとベタな名前な気はするけど、そんな事はあまり気にしないようにすればいい。それにこの名前、そんなに嫌いじゃないし……。

 そう言われてみれば、最近ジョニーは一日の終わりに僕の事をポンポンと触りながら、「〇〇〇、今日も一日ありがとうね!」「〇〇〇、今日も一日ご苦労さん!」とか何とか言いながら、カバーを掛けてくれていたような気がする……。ジョニーもいい歳して恥ずかしいのか、あまり大きな声で言わないので、僕はキチンと聞き取れていなかった。

『……、名前を呼んでたんだ~』僕も、嬉し恥ずかしい気持ちになる。

 どうやらジョニーは長い間バイクに乗ってはいるが、自分のバイクに名前を付けた事は今まで一度もなかったらしい。CB350に乗っている時は、『CB』だし、マッハⅢに乗っていた時は、『マッハ』というような感じで、それがバイク乗りの間では自然だったようである。それでも、そんな個性的な特徴を持ったバイク達にも付けなかった名前を、どちらかと言えばあまり特徴のない僕に付けてしまったと言う事を、どのように考えればいいのか、なんだか複雑な想いである……。

 ちょっと前に、ジョニー達がワイワイと騒いでいる中で、偶然聞こえてきたこんな話しがあった。

 メンバーの誰かの奥さんが、晩御飯のお味噌汁の具材としてアサリを買って来た。その砂抜きをする為に、アサリを食塩水が入ったの鍋の中に移す。しばらくして気が付くと、そのメンバーの娘さんが興味深そうにピューピュー水を飛ばすアサリを見ていたそうだ。そして、その娘さんは、そのアサリ達が可愛くなって名前を付けてしまったらしい。その愛くるしい笑顔でアサリの名前を呼んでいる娘を見たら、誰もそのアサリを食べられなくなってしまったという話しだ。

 まぁ、そうやって考えてみると、僕も名前を付けて貰ったので、たぶん食べられる事はないと思う。しかし、念には念を入れてと言う事もあるので、用心するに越したことはない……。

 

「9月に入ったら吉田だとか忍野のあたりは、もう結構涼しくなって来ちゃったんだよね~」ジョニーが吉村さんに話し掛ける。

「あそこ辺りはそうなんだよな~。標高も1,000mくらいで高いしな……。地元では、毎年8月5日の河口湖の湖上祭が終わると、もう夏は終わりっていう感覚らしいからな……」吉村さんは、富士五湖近辺の地元の情報をさらっと教えてくれる

「じゃぁ、俺が気が付いていないだけで、もう一ヶ月も前に夏は終わっていたって事だね……」照れ笑いを浮かべながら、ジョニーが答える。

「まぁ、暦の上では立秋もだいたいその辺りだしな~」

 ジョニーと吉村さんはそんな会話をしながら、これから段々気温が下がって行く中での僕の使い方や装備品の追加について、あれこれと考えてくれている。

「そうしたら少し早い気もするけど、寒くなって頼んだら『ありません!』とか言われるのも嫌なんで、グリップヒーター頼んでおいて貰っていい?」ジョニーが言う。

「了解。頼んでおくよ」吉村さんが答える。

 

 どうやら、もう少しすると僕にグリップヒーターが付くようだ。ジョニーはとても寒がりらしいので、これがないと冬に乗り続けるのはかなり辛いらしい。とは言っても、今までジョニーの乗っていたバイクには、一台もグリップヒーターの付いていたバイクはなかったらしいのだが……。

 ジョニーにとって、大好きなバイクに乗り続ける最大の障害――大袈裟?――は、真冬のツーリング等で感じる手足の指の冷たさや痛みと、雨中走行後のチェーンのメンテナンスのようである。しかし、この問題をクリアする為のグッズを付けても、全然カッコ悪くならないのが、実は僕だったらしいのだ。だから僕は、最終的にそういう装備をして貰って、雪道以外は一年中ジョニーと一緒に走りまわるという事になるみたいだ……。

 

 9月16日 木曜日 午前3時40分。まだ陽も昇らない真っ暗な雨の中、富士山に向けジョニーと僕は出発する。今回は、初めてスタートから雨模様である。天気予報では、恐らく帰着するまで、ずっと雨中走行となりそうな情報を伝えている。

 通常のツーリングなら雨天順延もあるが、水汲みツーリングには順延はない。

ジョニーはいつもより若干テンションが低いが、今日は僕の雨中走行テストも兼ねているので、気持ちは割り切って臨んでくれている。

 雨中走行用の装備を一通り着込んだジョニーは、いつものルートで僕を坦々とライディングして行く。

 今回の雨中走行テストの目的は、二つあるらしい。第一の目的は、僕に標準で装備されているレッグシールド(フロントからの水跳ねや汚れから、ライダーの足を守るように出来ている)の性能確認である。オフロードバイクなんかに乗っていると、雨降りはもちろんの事、雨が止んだ後も路面が濡れていれば、フロントタイヤが巻き上げる水しぶきで、パンツの膝から下はビショビショになってしまう。でも、きちんとしたレッグシールドがあればそういう事にはならないはずである。それを確認することが第一の目的だ。

 それから第二の目的は、ドライブチェーンの問題である。こちらは通常のバイクだと、雨中走行をした後には必ず注油等のメンテナンスをしてやらないと、チェーンはあっと言う間に錆だらけになってしまう。ただ、雨中走行で神経をすり減らしながらライディングした後に、走行終了後若しくは翌朝すぐメンテナンスというのは、中々実行出来ないのも確かなようだ。しかし、その点僕には材質は昔とちょっと変わってしまったが、ドライブチェーンカバーという装備が標準で付いている。これがあると、メンテナンスもスプロケット及びチェーンの耐久性も段違いという世間の評価もあるので、それを確認する事が第二の目的となる。

 その日の水汲みツーリングはお昼過ぎに帰着して終了となったが、富士山に近いエリアでは大分気温が低くなっていた。

 また、気温のせいか路面の水の抵抗のせいか分からないが、燃費は58.36km/ℓとあまり伸びず、水汲みツーリングとしては初めての60km/ℓを下回る燃費となった。

 雨中走行テストの結果としては、まずレッグシールドに関して、ジョニーは非常に満足をしてくれたようである。

 今回ジョニーは、防水の半長靴でライディングしていた。ちょっと深い水溜りや大きい水溜りを通過すると、フロントタイヤが盛大に水を跳ね上げるのだが、的確にレッグシールドがそれを防ぎ、レインスーツのパンツの内側及び半長靴の中への浸水は一切なかった。大変素晴らしい性能である。

 次にドライブチェーンについてだが、帰着後にドライブチェーンカバーを外して確認してもらったところ、充分に油気が残り潤滑には全く問題がない事が確認出来た。長距離ツーリングに出掛けた時に、雨天の走行はしませんという訳にはいかないので、こちらも素晴らしい結果だった。

 

 その数日後、ジョニーと僕は吉村さんのお店にいた。

「二つとも、満足な結果だったみたいじゃないか?」吉村さんが笑顔で尋ねる。

「うん、さすがにカブだね。レッグシールドもチェーンカバーもいい仕事をしてくれてるわ。特に下からの水跳ねは、ほぼ完璧に押さえられてるかな。それと大分気温が下がって来てたから、雨に濡れたレインスーツの膝の部分が風に当たるとちょっと寒い気がするんだけど、膝をレッグシールドの内側に入れた瞬間にその冷たさが無くなるのが、ちょっと感動的だったかな」ジョニーが嬉しそうに答える。

「チェーンも今日メンテナンスしたんだけど、全く問題なかったよ。油はしっかり残っているし、サイドプレートに錆すら浮いていなかったもんね」と、ジョニーが続ける。

「そりゃあ良かったな~。これで今日このグリップヒーターを付ければ、さらにこれからの季節は幸せになれるってもんだな~」吉村さんが届いたばかりのグリップヒーターを手に取りながら、ジョニーに話しかける。

「本当にそうだね。今回も一応防水防寒グローブで行ったんだけど、往復200kmの距離を走ってると、やっぱり途中で手袋の中までグズグズになちゃってさぁ~、結構手が冷たくなってたんだよ。まだこのくらいの気温だから何とか大丈夫だけど、冬本番になってこんなびしょびしょになったら、どうにもならないだろうからね……」ジョニーはその時の手の冷たさを思い出しながら話す。

「昔から、防水の完璧なグローブはあっても、ヘルメットのシールドの上げ下げとかで、腕を上げたりすると、どうしても袖の内側をつたってグローブの中に入って来ちゃうんだよな~」吉村さんも自分の経験から話しを続ける。

「とりあえず今の時期だけだよね、こんな適当な具合でいいのは……。一ヶ月後には、ハンドルカバーを付ける予定だけど、それも含めてちゃんとしたやり方を考えないとね」

 「そうだな……。じゃあ、ぼちぼちグリップヒーターの取付に掛かるか」そう言いながら吉村さんは、左右のバックミラーを手始めにグリップヒーター取付の為の部品取り外し作業を始める。

 ヘッドライトを外し、ウィンカライト、ロアハンドルバーカバーから貫通しているスクリュを外して、アッパハンドルバーカバーをやや持ち上げ、スピードメーターケーブルを外す。更にスイッチ類に付いているカプラー、メーターから伸びているカプラーと、手際よく取り外し作業を進めていく。

 

 ジョニーに言わせると、一年中好きで乗っているバイク乗り達にも、寒さに強いライダーもいれば、弱いライダーもいるらしい。

 昔はキャブレーターのマシンがほとんどだったから、酸素密度が高まる冬の季節のライディングを一番の楽しみにしているライダー達が数多くいたようである。また逆に、そのようなライダー達が、当時はオートバイ乗りの主流だったのかもしれない。彼らはその季節になると愛用の革ツナギに身を包み、キチンと燃調を取ったマシンに跨って、ピンと張りつめた冷気を切り裂きながら、夏には味わえなかったパワーやフィーリングを楽しむのがバイク乗りの醍醐味と感じているライダー達である。彼らに言わせると、そんな絶好のタイミングであるその冬の時期に、あまりバイクに乗らなくなってしまうようなライダー達を『サマーバイカー』と呼んで、けっこう軽蔑するような風潮もあったようだ。

 雪国のように路面状況が悪化して走れない場所はともかくとして、それ以外の地域にいる『バイクは大好きだけど、寒さに弱いバイク乗り達』にとって冬の季節は、そういうライダー達からの視線も気にしなければいけないという、二重につらい季節だったのかも知れない。

 ジョニー自身にしても、街の中はまだいいのだが、どうしてもツーリングや長時間走行になると、かなりの厳しさを感じていたようである。直線を走っている間にグローブの中やブーツの中で一生懸命指を動かし続けてはみるものの、それでも指先の感覚はどんどん失われていく。この時期は、とにかく手の指や足の指の凍えるような冷たさに、気持ちと身体がめげてしまっていたのだそうだ。

 過去にテレビのインタビュー番組で、歌手の尾崎紀世彦氏が『指がジンジンしてきて、ちぎれそうになる真冬のライディングが好きだ!』と言っているのを聞いて、呆然としてしまった事もあったらしい。尾崎紀世彦氏は尊敬する大好きな先輩ライダーであるが、その大先輩にそう言われてしまうと、ジョニーは只々うなだれるしかなくなってしまう。

 しかしそうは言いながらも、雪の日以外はとにかく僕と一緒に出来るだけ走るという目標を掲げてしまった以上、ジョニーは自分の弱いところをフォローしてくれる部品を迷わず積極的に装着して行く考えである。

 今回取り付けるグリップヒーターは、純正オプションである。スポーツモデル用の全周タイプと違い、ビジネス用は半周タイプなので、ジェネレーターの発電量をあまり気にせずに済む。いずれにせよ、今までグリップヒーターを付けた事のないジョニーなのだから、真冬のライディングの辛さを少しでも減らす為の、強い味方になるのは間違いなかった。

 そんな事を考えている間に、グリップヒーターの取付が終わったようだ。

吉村さんが、僕のメインスイッチをONにして、軽くスタータスイッチを押す。エンジン始動後に、取り付けたグリップヒーターの防水スイッチを入れると、鮮やかに3つの赤いLEDが点灯した。

「通電は大丈夫みたいだな……。ジョニーちょっとグリップ握ってみてくれないか?」

 吉村さんに言われたジョニーは、僕のハンドルグリップの両方を軽く握る。そして、30秒程すると、

「……おっ、来た来た、 ……温かくなってきた」ジョニーが状況を伝える。

「2~3分もすると、素手では触っていられないくらい熱くなるからな」吉村さんが更に説明を加える。

「これはいいね~。 ……おっ! 本当だ! かなり熱くなってきたよ」ジョニーが嬉しそうに再び答える。

 吉村さんもグリップを握り、温度の確認を終えた後、僕のメインスイッチが切られた。

「まぁ、これだけで冬中通しちゃう人もいるけど、これにハンドルカバーを付けてやるとほぼ完璧じゃねえのかなぁ?」この仕様を何台も造っている吉村さんが言う。

「誰かが言ってたけど、走りながら炬燵の中に手を突っ込んでるみたいなんだってさ」

ジョニーはニヤリとしながら、どこからか仕入れて来た話しをする。

「ハッハッハ、 うまい事言うね~。 本当にそんな感じだよなぁ~」吉村さんが答える。

二人は僕の方を見ながら、楽しそうに笑っている。

僕がちょっと気にしていたグリップの太さ(ノーマルに比べ、ヒーター付はかなり太い)も、幸いジョニーの手が割合大きい方なので問題はなさそうである。

 

 この月は、その後2回水汲みツーリングに行き、いずれも雨の中のツーリングとなった。

富士の気温も更に下がって15℃を切る時もあるので、グリップヒーターがあると非常にありがたいようだ。

 ジョニーが言うには『手が温かいと、当然ブレーキやスロットル操作がいつもと同じ感覚で出来るし、スイッチ類を作動させるのにタイムラグも出ない。でも何より大きいのは、精神状態を良好に保てるって事かな~。身体も縮こまって硬くならないし、それが一番ライディングに影響するような気がするなぁ』ということである。

 僕にとっても、それが一番ありがたい事なんだよ、ジョニー。だって、僕等はどんな時でも、乗り手が操作してくれる通りにしか走れないのだから……。

 

2010年9月末現在 

積算走行距離 7,383km(9月参考燃費 62.73km/ℓ)

月まであと、  377,014km