2010年11月
山中湖村の11月は、晩秋と言うよりも、東京で言えば完全に真冬の気候である。村の平均気温もだいたい5℃前後まで下がり、13°から14℃程もある東京の晩秋とは明らかに一線を画する感がある。
また、今年は思いのほか冬の訪れが早いようで、『水汲みツーリング』を計画して実際に走行するジョニーの頭の中では、あとはどのタイミングで最初の雪が降って来るのかということだけが最大の関心事となっていた。
いずれにしろ一回雪が降ってしまったら、もうその年の『水汲みツーリング』は、その時点で終了という事になってしまうようである。
最初に降った雪がそのまま路面に残る事はないが、道路の日陰部分に残った雪は一部凍ったりする事があるし、日なたの部分に降った雪は昼間は融けてしまうので何の問題もないようにみえるが、それが気温が下がる夜間に再び凍ることで、予想もしないような場所にアイスバーンを出現させたりする。
そして、更にそれを防ぐために融雪剤を散布された道路は非常に滑りやすく、融雪剤の成分がマシンを錆びさせる問題もある。そんな様々な事が重なって、とても二輪が安心して走れる路面状況ではなくなってしまうというのが理由である。
昨年は天候が比較的安定していて暖かい日が多かったので、12月中旬ごろまでセローを使って『水汲みツーリング』に行く事が出来たらしいが、「今年は11月中旬あたりが限界かも知れないなぁ~」と、ジョニーは言っている。
実際に、東京の気温も月の中旬あたりまでは20℃を超える日も多かったのだが、それ以降は15℃を割り込む日が徐々に増えていった。
そんな状況もあって、11月の水汲みツーリングは、結局3日、6日、14日の3回だけ走って、残念ではあるが今年は終了という事になった。
僕は7月15日にジョニーと一緒に走り始めて以来、合計すると全部で18回の『水汲みツーリング』に行った事になる。1回につき約210kmを走行するので、その分だけで約3,800km弱の距離を走ったっていう計算になる。そして運んだ水の量は、トータルで約720 ℓ になった。ドラム缶で3本半ちょっとだ。
こうやって考えてみると、『結構な距離を走って、結構な量の水を運んだんだ』っていう達成感がどんどん湧いてくる。
そのツーリングのルートに関しては、前にも話したがトラックの定期便のようなもので、毎回だいたい同じルートを走行する事が多い。でも、走行する時の天気や気温、時間帯などの条件がちょっとでも変わると、道というものは本当に様々な表情を持っているものだという事を大いに気付かせてくれる。1回々々が僕にとって新しい発見の連続であり、その発見の一つひとつが有意義で貴重なデータとして僕の中に蓄積されていった。
ジョニーは現時点で、「2011年の水汲みツーリングの開始は、たぶんアイスバーンの心配がなくなる3月後半くらいからじゃないかな」と、言っている。しかし、それが本当にそのタイミングで始められるのかどうかは、海抜約1,000mの高地に位置する山中湖村近隣の、これから始まる数か月に及ぶ厳しい冬の天候と、それに続く春先の天候がどのようになっていくのかという事にかかっているのだ。
『水汲みツーリング』に行かなくなった僕は、11月の中旬以降、ジョニーの仕事のお供で都区内や市街地を移動する事が多くなった。
年末に向けて道路の混雑箇所が増えて来るタイミングで、ちょっとした荷物を積んで移動する事が出来る僕の事を、ジョニーは非常に頼りになる相棒のように感じてくれているみたいだ。
引き続き12月も、さらに混雑が予想される都心部の移動がメインとなるらしい。信号の数と交通渋滞の多い都区内・市街地走行が中心という、ある意味一番『スーパーカブ』らしい使われ方となりそうである。
しかし、その『スーパーカブらしい』とは言いながらも、本当のところ、実は僕にとってこれは結構予想外の展開であったのだ。
僕自身はすでに1万キロの距離を走り、エンジンやそれ以外の部分についてもほぼ当たりが付いて来ているような感じがしていたので、『水汲みツーリング』の次は、距離的にもう少しハードな使用があるのではないかと思っていたからだ。
具体的に言うと、一日に走行する距離に関して、今までは約200kmくらいが目安になっていたが、これからは3~400kmくらいのツーリングに頻繁に出掛ける事になるのではないかと考えていたのである。
走行時間も増えるし、当然走行距離も倍近くになれば、今までなかったトラブルも出て来るようになるかも知れない。そんな不安な気持ちと、『今までちゃんと走れていたんだから、距離が倍になっても大丈夫だ』という、自分への自信とが混ざり合う中、次へのステップに期待を持っていた僕にとっては、ちょっと拍子抜けする感じとなった。
しかし、僕のそんな思いとは裏腹に、吉村さんとジョニーの話しをよくよく聞いてみると、一日200km走っていた距離を、倍の400km走る事にしたからといって、そうそう何かが起こるかというと、実はそんなこともないのだそうだ。
もし何かが起こるとすれば、200kmを走る前にとっくに起こってしまう事の方が、はるかに多いようである。それも10kmとか20kmの、ほとんど走り始めて直ぐに出てしまう事の方が圧倒的に多いのだそうだ。
僕の考えは方は、大きくずれていたのである。経験していない事に関しては、時としてあまり先入観を持たないでいる方が良いのだという事を僕は学んだ。
走行条件のシビアさという意味では、長い距離を一気に走行する事より、都区内走行のような数多くの加減速や発進停止を繰り返す状況の方が、余程マシンにとっては過酷な条件なのだと言う事を二人は言っている。
考えてみると、確かにそうかもしれない。 都区内走行というのは、信号が青に変わって加速したかと思ったら、すぐに次の信号が赤に変わって停止したり、急に進路変更をして来る他の車輛の為に急減速をしなければならなかったり、なかなかリズムに乗った走行が出来ないところがある。1時間くらい走っても、せいぜい進める距離は20kmがいいところだったりする。ひどい渋滞に巻き込まれたりすると、さらに短い距離しか進めなくなってしまう事も往々にしてある。おまけに夏場などは渋滞中の四輪車に囲まれたりすると、エンジンを冷却する為の風も当たらなくなってしまう。
今の時期であればさほど気にならないが、僕の右側クランクケースカバーはかなりの熱を持つことがある。ライダーがきちんとしたブーツを履いていてくれればいいのだが、スニーカーなどでライディングをしていて、くるぶしが直接右側クランクケースカバーに触れたりすると、かなり熱い思いをさせてしまう事になったりする。
僕は7月の梅雨明けから走り始めたが、今年はジョニーが気を使ってくれたのか、夏のあいだは都区内を走る事があっても、ほとんどが渋滞のない夜間の走行が中心であった。そんな訳でエンジンオイルの温度の上昇もそれほど問題がなかったのか、ギヤ・チェンジに不具合が出たり、クラッチのつながり方がおかしかったりとか、右側クランクケースカバーが熱くなり過ぎて、ジョニーが我慢出来なかったなんていうような事は起こらなかった。
しかし、本来なら真夏の日中に走行をしていれば、エンジンオイルの温度はかなりの高温になっていたはずだし、ひょっとするとそんな不具合が発生する状況になっていたかも知れない。
いずれにしろ、今はもう11月後半に入っているので、そういう心配もあまりないのだが、来年の夏は相当の覚悟をしておいた方がよさそうである。
メンテナンスの関係は、11,000kmを超えた時に最初から数えて六回目のオイル交換をして貰っている。
現在、使用しているオイルは僕の純正指定のG1だ。このオイルは新車の慣らし運転の時にしか味わっていなかったので、久しぶりの鉱物油のフィーリングが、なんだかとっても新鮮な気がする。
夏場に使用していたG2の10W-40に比べると粘度が柔らかいので、気温の下がってきた状況でも僕のエンジンは軽やかな感じで回転しているのが分かる。
だけど、エンジン音はG2に比べると、高回転まで回した時にやっぱり少し『ガチャガチャ』とにぎやかな音がするようになってしまった。
でも、クラッチのつながる感じなんかは、G1の方がよりダイレクトなフィーリングでつながるので、ちょっと頼もしい感じがする。
ジョニーが時たまやるスロットル全開での加速の時なんかでも、G2だとシフトアップした瞬間に若干クラッチが滑る感じがする時がある。しかし、それがG1だと『ガチッ』っとしっかりつながって、そういう感じがまったくしなくなる。
「やっぱりカブ吉には、G1があってるのかな……」ジョニーが吉村さんに聞くと、
「そうだな……、メーカーもG1を基本にエンジンテストをしてるからな」吉村さんは、当然という顔をしながら返事をし、更に話しを続ける。
「メーカーも、純正オイルを開発するのに膨大なコストと時間を使ってやってるからな~。それにカブだけじゃなくて他のマシンも含めて、オートバイの販売は世界各国でしてるし、国によって気候も道路状況も全部違うからな。それと、その国や地域ごとで使用するガソリンとかオイルの質だってみんな同じじゃないだろうしな。そうやって考えてみると、エンジンの性能をきちんと発揮して、なおかつエンジンを壊さない純正オイルっていうのは、ある意味本当に凄いオイルなのかもしれないな。実際『タイホンダ』あたりじゃ、カブと兄弟車の【ウェイブ】の指定オイルは、やっぱりタイホンダ純正のG1らしいからな」
「へぇ~、タイでもやっぱりG1なんだ……。年間を通して最高気温が30℃を楽にこえてて、暑期には40℃越えもある場所で大丈夫なんだから、日本でもG1でまったく問題ないのかもしれないね~」ジョニーは感心することしきりである。
「まぁ、小排気量のカブみたいなシンプルな基本設計のエンジンなんかには、10W-30あたりの鉱物油が一番合ってるってことなのかもしれねぇなぁ~」吉村さんはニコリとしながら返事をする。
ドライブチェーンに関しては、現状約1,000kmに一回くらいのペースで、ジョニーに給油等のメンテナンスを実施して貰っている。初期伸びは当然あったが、それ以降はあまり伸びてもいないようなので、暫くこのやり方でいくみたいだ。
それから、ちょっと前から点いたり点かなかったりで調子の悪かったリヤブレーキライトスイッチが、結局グリスアップ等の対応をしたにも関わらず、やはり不良となったので新品交換――吉村さんが店にあった新車の07型カブ110から外してくれた――となった。
2010年12月
月が変わって、12月の中旬に横浜に向けて移動をしている時の事だった。
第二京浜の鶴見川を渡り、下末吉の交差点を過ぎてゆるい上り坂を上り切ったところで、前方の信号が赤に変わる。
スロットルを開き気味に60km/hを少し超える速度で走っていたジョニーは、軽くスロットルを戻す。
すると、どうした訳か僕のエンジンは急に燃料切れのような症状を起こし、そのまま減速しながら停車したところで、エンジンもそのままストールしてしまった。
ジョニーはスタータスイッチを使って2~3回始動を試みるが、全く始動する気配がない。しかたなく、ジョニーは僕から降りて、道路の左側の安全な場所に僕を押して行く。
メインスイッチのON、OFFを1~2回繰り返して、再度スタータスイッチを押してみる。スタータモータは元気に回るのだが、まったく始動する気配がない。
再びメインスイッチのON、OFFを繰り返した後、キックスタータにて始動を試みるがやはりダメである。
ジョニーは一応燃料の残量確認もするが、それも問題なく充分に入っている。プラグキャップもしっかりと確実に付いている。……原因不明である。
「参っちゃったなぁ……、どうしちゃったんだよカブ吉ィ~」ジョニーが力なく呟く。
ガードレールに腰を寄り掛けて、第二京浜を行き交う車を見るともなく見ている。
「こういう時にこまるんだよなぁ燃料噴射は……。やれる事が何にもなくってさ……」ジョニーの誰に言うでもない呟きが聞こえて来る。このジョニーの落胆している言葉を聞くだけで、僕は申し訳ない気持ちで一杯になる。
携帯電話で時間を確認した後、吉村さんの店の電話番号を呼び出し、
「とりあえず、吉村さんに電話してみるか?」と、僕の方を見ながらジョニーが言う。
『うん!うん!』とうなづく僕。(当然、ジョニーには見えていないが……)
『はい、吉村モータースです』受話器の向こう側から、吉村さんの元気な声が聞こえる。
「もしもし、吉村さん? ジョニーだけど……」
『おぅ、ジョニーか。 珍しいな、日中のこの時間に電話してくるなんて。どうしたんだ?』
「今、横浜に向かってたんだけど、途中でカブ吉のエンジンが止まっちゃってさぁ……」
『エンジンが止まった? ……で、どんな感じで止まったんだ?』
「第二京浜のゆるい上り坂を、スロットルをやや開き気味にして60km/hちょっとくらいで登ってたんだ。それで、先の信号が変わったんでスロットル戻したら、なんか急に燃料が流れてこない感じになっちゃってさ……。それで、そのまま減速しながら停止したらエンジンも一緒に止まっちゃったんだよね」
『そうか……。それで、メインスイッチ切ったり入れたりしても掛かんねぇのか?』
「そうなんだよ……。いろいろやってみたんだけどさぁ、ダメなんだよね~」
『その時、フューエルポンプの作動音はちゃんと聞こえてたか?』
「ちょっと待って……、確認してみる……」真面目な顔をして、電話で話し続けるジョニーの横顔を僕は見つめている。
それからしばらくして二人の電話は終わったが、僕の横で電話をしているジョニーの顔には、結局一度も笑顔が戻らなかった。
それでも、どうしてもエンジンが掛からなかったら、もう一度連絡しろと吉村さんは優しく言ってくれたみたいだ。
「じゃあカブ吉、もう一回やってみるか?」ジョニーが言う。
ジョニーは僕のシートの所に耳を近づけた状態で、僕のメインスイッチを入れる。
『ウィーン』とかすかにフューエルポンプの作動音がする。
「よし、燃料ポンプは動いてるな」
ジョニーは、スタータスイッチを押してみる。
『キュルキュルキュルルル……』
掛からない……。
メインスイッチのON、OFFを一度切り換えて、もう一度やってみる。
『キュルキュルキュルルル……』
やっぱり、掛からない。
今度は、キックスタータでやってみる。1回……2回……3回。
『ヴォヴォヴォッ……』
「おっ! 掛かりそうだぞ」
更にキックする。
『ヴォヴォヴォッボボッ……』
もう1回キック!
『ヴォヴォッボボッボボゥーン』
「掛かった~!」
ジョニーはせっかく掛かったエンジンをストールさせないように、スロットルから手を離さず慎重にコントロールしている。だけど、その顔には少しばかり安堵の色が浮かんでいる。
それから暫くの間、エンジンの回転具合を確認した後、ジョニーはスロットルからゆっくりと手を離した。そして、アイドリング状態の僕を心配そうに見つめながら、身支度を素早く整えて、ジョニーは再び僕に跨った。
「さぁカブ吉、横浜までもう少しだけ走るぞ!」
ジョニーはそう言いながら僕のギアを慎重に1速に送り込み、エンジンの回転数に変化が起こらない事を確認して、スロットルをじわりと再び開いた。
次の日の夕方、ジョニーと僕は吉村さんのお店にいた。
「それで、その後も1~2回止まったんだ?」吉村さんがCB1100の納車整備をしながらジョニーに尋ねる。
「そうなんだよ~。なんとかエンジンが掛かって横浜に向かう間に、また2回止まったんだ。でもその時は、ちょっとスタータスイッチを長めに押したら、すぐに掛かったんだけどね……」ジョニーはその時の様子を更に細かく説明する。
「帰りはどうだった?」吉村さんが心配そうに聞く。
「それが、帰りは全く問題ないんだよね~。 そんな事があったなんて信じられないくらい快調なんだよ……」
若干の沈黙の後、吉村さんが口を開く。
「とにかくECUのチェックをしてみよう。ただ、エラー情報が残っていない場合も結構あるからな……。そうなると困っちゃうんだよな~、残っててくれよ~」そう言いながら、吉村さんは手早く僕のシート下のセンタカバーを外しに掛かる。
バッテリーカバーの外側に固定されているカプラーを外し、そのカプラーに専用工具である『SCSカプラー』をつないで短絡させる。
この状態でメインスイッチをONにすると、エラー情報が残っている場合は、メーター内のPGM-FI警告灯が故障個所を示す点滅を行い、情報が保持されていない場合はそれが点灯状態となる。
「じゃあ、やってみるぞ」そう言いながら、吉村さんは僕のメインスイッチをONにした。
メーター内の警告灯が同時に点灯する。しかし、……点滅はしない。
「あちゃ~、やっぱり残ってないか~……」吉村さんは、落胆した顔つきで呟く。
その作業を傍らで見守っていたジョニーと僕も、『これで、エンジンストップの原因が分かるんだ』という、期待を持っていたので、この結果には少々がっかりしてしまった。
結局、もう少し様子を見てみようという事にはなったのだが、実はそれが一番やっかいなパターンであるとういう事を、そこにいた全員が暗黙のうちに理解していた。
「だけど、この現象はほかの車種でもたまにあるんだよなぁ……」吉村さんがぼそっと言う。
「それって原因は分かってるの?」すかさずジョニーがつっこむ。
「いや、実はそれもよく原因が分かってないんだよなぁ~。だけど、エンジンが止まったまんま、二度と掛からないなんていう事はなくて、暫くすると何事もなかったようにエンジンが掛かって普通に走れるんだよな……」吉村さんがほかの車種の事例を説明してくれる。
「ふぅ~ん、うちのカブ吉のトラブルとよく似てるね……。それで、そのトラブルってどのくらいの頻度で起こるの?」ジョニーはさらに質問をぶつける。
「それが、たまにしか起きないらしいんだよな~。たとえ起きたとしても、長くて10分くらいで復活するみたいだしな……」吉村さんも困惑ぎみである。
以前に、ほかのメーカーの250cc単気筒にも似たようなトラブルがあって、その時は燃料ポンプ内の樹脂製インペラが燃料ポンプカバーに接触し、加速不良やエンジン停止及び再始動不能等の問題が出ていたようだ。
始動不能になってしまうと、もうその場所から動く事が出来なくなってしまい、結局レッカーを呼ばなければいけなくなってしまう。
それは、ジョニーと僕にとって非常に重要な問題で、二度とエンジンが掛からなくなってしまうという事は、旅がそこで終わりになってしまうという事である。
だったら、そんな問題を抱えたバイクで旅には出れないし、今やっている耐久性の見極めも意味がなくなってしまう。
「まぁ、しょうがないよね……。それも含めての耐久性確認っていう事で、もうしばらく様子を見ながら乗ってみるよ……」暗い顔をしながら、ジョニーは吉村さんに告げている。
「すまないなぁジョニー……。悪いけどそうしてみてくれるか……」吉村さんも申し訳なさそうである。
そんな会話を最後にして、その日は吉村さんのお店を後にした。
その後は、たまに同じような症状が出てストンとエンジンが止まる事があっても、再始動に手こずるような事は、どういう訳だかなくなった。僕もジョニーもなんだかスッキリとしない気持ちではあるが、何とか走り続ける事が出来ている。
ジョニーもいろんな情報を収集してはいるのだが、まだ『これだ!』という決定的なものにはたどり着いていない。
四輪車に比較すると、燃料噴射装置は相対的に僕たち二輪車の方が遅れている気がしないでもないが、それにしたってぼちぼち三十年近い歴史があるはずなので、それを考えると『まだこのレベルなのかなぁ……』と、僕も正直悩んでしまう。
2010年は、結局12月30日までジョニーと一緒に走っていた。
その日は、八王子市にあるジョニーの家のお墓を掃除に行き、夕方家に戻って来てからは、ジョニーは僕の事も丁寧に拭いて綺麗にしてくれた。
そして最後に車体カバーを掛けながら、
「カブ吉、ありがとう! 来年もよろしくな」 照れくさそうにジョニーは言った。
2010年12月末現在 全走行距離 14,366km
(11月参考燃費 56.75km/ℓ)
(12月参考燃費 55.46km/ℓ)
月まであと、 370,034km