スーパーカブ 耐久チャレンジ

JA07型スーパーカブの耐久性を検証するブログです。

カブ吉くん 月まで走れ(小説)-7

2011年1月(その一)

 

 2011年1月1日土曜日、まだ真っ暗な朝5時過ぎに、僕に掛かっているバイクカバーがバサッと外された。

「カブ吉~、おはよう」

ヘルメットをかぶり、身支度をすでに済ませたジョニーがにこにこ顔で挨拶してくる。

 ジョニーは次に僕のメインスイッチにキーを差し込み、ハンドルロックを解除する。そして、メインスタンドを降ろし、僕の事を静かに家の前の道路まで押し出して

行く。

 いつもならこの位置でエンジンを始動するのだが、さすがに元旦の朝5時という時間だとジョニーも少し気が引けるのか、さらに表通りまで僕を押して行く。

 そして通りに出た所で、再び僕のセンタースタンドが掛けられた。メインスイッチがONになり、メーター内に緑色のニュートラルランプが輝く。

 ジョニーが「カブ吉、今年もよろしくな!」と、声を掛けてくれたと同時にスタータスイッチが押され、僕の2011年がスタートした。

 

 ジョニーはエンジン始動後、いつも通りの簡単な仕業点検を始める。まず最初は、テールライトとストップライトの点灯確認である。異常がなければ、次にウインカーライトからヘッドライト点検、そしてリヤタイヤとフロントタイヤの点検という、いつもの流れで点検を済ませて行く。

 本来ならホーンの点検もこのタイミングでやってしまうのだが、さすがに今朝はここではやらずに、幹線道路に出てから確認するつもりらしい。

 たった一~二分の点検ではあるが、概ね僕の体に問題はないようだ。

 

 仕業点検を終えたジョニーは、薄手ではあるが充分な保温力のある防寒手袋を装着して、ゆっくりと僕に跨った。

 グリップヒーターのスイッチはエンジン始動と共に入れられ、今は三つのLEDが、その暖かさを伝えるように赤々と点灯している。

 ジョニーはギヤシフトペダルを前に一段踏み込み、再び僕に声を掛ける。

「カブ吉、じゃあ行こうか~」

ジョニーはそう言いながら、丁寧に僕のスロットルグリップを開いていった。

 

 現在の気温は1.7℃だ。ジョニーは去年の10月頃、『水汲みツーリング』で行く富士山周辺の気温が大分下がり始めたタイミングで、僕に『サーモクロック』という用品を取り付けてくれた。

 これは、幅38mm×高さ44mm×厚さ15mmとやや小振りではあるが、そのスペースの中の液晶部分の上下に、気温と時刻を表示するものである。

 ライダーの感覚だけではなく、厳冬期の走行で確実にアイスバーンを見つけて行く為の補助ツールとして、ジョニーは僕にこれを取り付けたのだ。

 左のグリップを覆うハンドルカバーとスピードメーターの中間に、ピッタリと取り付けられた『サーモクロック』を確認しながらジョニーが僕に小声で囁きかける。

『カブ吉~、この気温だと吹きっさらしの川なんかに架かってる橋は確実にヤバイからな。ひょっとするとアイスバーンになっている可能性もあるから、充分に注意をして走るぞ!』

この声を聞いて、僕はグッと気を引き締めた。

 

 ジョニーと僕は、スタートしていつものように目白通りを少し上りこみ、豊玉陸橋の下を右折して環状七号線の内回りに入って行く。

 元旦の朝5時過ぎというのは、昔であれば外に誰もいないというのがあたりまえの時間帯なのだが、最近は全然違うようである。

 環状七号線もさすがに営業用のトラックは少ないが、特別な日の早朝という感じはあまりなく、普通の休日の早朝と変わらないくらいの台数の車が走っている。

 風はあまり強くないがピンと張りつめた冷たい空気の中、周りを四輪車達に囲まれながら、ジョニーと僕は淡々と環七通りを進んで行く。

 

 甲州街道を過ぎ、井ノ頭通りを越えると道路は三車線に広がる。京王井の頭線を『新代田駅』のところで跨ぎ、その先の小田急小田原線を僕たちはくぐり抜けて行く。

 宮前橋の信号を過ぎて三車線の道路がゆるやかな上り坂になると、淡島通りのアンダーパスの手前で本線は再び二車線に絞り込まれる。

 アンダーパスをくぐった先で、やや下りながら環状七号線で唯一の東急世田谷線若林踏切を渡り、その後は立て続けに世田谷通り、玉川通り(国道246号線)、駒沢通り、目黒通りと立体交差を利用して、あっという間に大田区に入って行く。

 

「さすがに元旦の朝だな~、めちゃくちゃスムーズに走れるわぁ~」

ジョニーが寒さも忘れて口を開く。

 

 僕たちの周りを走る車の台数も、玉川通りをくぐったあたりから若干少なくなり、街の灯りも、それと合わせたかのようにいくぶん減った気がする。それでも、時おり目に飛び込んで来る24時間営業のガソリンスタンドや、コンビニエンスストアーの鮮やかな灯りが、ジョニーと僕に一瞬の温もりを感じさせてくれる。

 

 南千束中原街道をオーバーパスし、幹線道路の立体交差としては日本で最初と言われる『松原橋』で、第二京浜(国道1号線)の下を快調に駆け抜けて行く。

 上下二層構造の高架橋である東海道新幹線横須賀線のガードをくぐり、左に行くと大森駅に向かう馬込銀座のY字路交差点を、僕たちはぐっと右にリーンしながら、環状七号線としては珍しく角度を付けたコーナーリングをしながら走り抜ける。

 およそ800mほどの直線の後、今度はゆるく左に曲がりながら春日橋の立体交差を使って、池上通り東海道本線を越えて行く。

 左折専用車線のある沢田の交差点を中央寄りに進路を変えて通り過ぎると、もう第一京浜(国道15号線)と交差するの大森東の交差点が見えて来る。

 平日のこの交差点は、東京の城南エリアでも特に交通量の多い交差点で、いつもなら通過するのに非常に時間が掛かる場所である。しかし、さすがに今朝は、いつもとは状況が全く異なっていた。手前の沢田の信号を通過したそのままの流れで、どこの信号に引っ掛かる事もなく、一瞬のうちに通過することが出来たのだ。これには、ジョニーも僕も思わず感嘆の声を上げてしまう。

 二車線ある左側の車線をキープしてその先の交差点を通り過ぎ、ゆるやかに左にカーブをしながら坂を上って行くと、突然目の前の視界が大きく開ける。

 そして、その正面にはまるでキラキラと輝く大きな照明器具をドンと立て掛けたような、巨大な平和島倉庫群が建ち並んでいる。

 ちょうどその倉庫群の真ん中を南北に貫くように浜松町と羽田空港の間を結んでいる東京モノレール流通センター駅を右手に見ながら、その先の京浜運河の大和大橋を渡り、更に進路を右寄りに変えて、そのまま湾岸道路(国道357号線)もくぐり抜けて行く。

 第一京浜の大森東交差点を通り過ぎてから、一気に大井ふ頭近くまで走って来ると、さらに周りの交通量が減っている事に気が付く。

 僕たちは、直進してそのまま大井ふ頭には入らず、右折車線が二車線ある野鳥公園東の信号を右折して、200mほどの長さの城南野鳥橋を渡り城南島に入って行く。

 右側にぽつんとあるガソリンスタンドが、薄っすら白んできた景色の中にぼんやりと淡い光を投げかけている。

 湾岸道路の大田市場前から東に延びて来た道と合流する交差点の信号が、ちょうどタイミング良く青に変わった。

  今走って来た片側二車線の道路が、そのまま左折合流車線になっているその交差点に、ジョニーと僕は左のウインカーライトを点滅させながら、ぐっとリーンの角度を深めて進入して行く。

 そして、そのまま一定のバンク角を保ちながら交差点を通過した僕たちは、その先に大きな口を開けて待ち構えている臨海トンネルの中へすうっと吸い込まれて行く。

 海底部分だけで1,328mの長さを持つこの海底トンネルを抜けたところは、直進車線がまだ工事中で通り抜ける事が出来ない為、側道から一旦僕たちは中央防波堤外側埋立地に上がる事になる。

 そして、ここでもタイミング良く左折可能の矢印信号が出ている交差点を軽快に左折すると、再び200mくらいの橋を渡って、今度は中央防波堤内側埋立地から、一気にその先の第二航路海底トンネルに飛び込んで行く。

 身の引き締まるような寒さの中ではあるが、2本の大きな海底トンネルを走り抜けて行く、この流れるようなリズムが堪らなく心地よい。

 ナトリウム灯に照らされた第二航路海底トンネルをくぐり抜けて青海地区に入って行くと、左手前方に二つの塔を最上階あたりでつないだ姿が印象的なテレコムセンタービルが見えて来た。

 右側には、三井、住友、三菱倉庫などの日本を代表する倉庫たちが並び、そして正面奥にはチタン製球体展望台が存在感を示すフジテレビ本社ビルもぼんやりとではあるが確認することが出来る。

 新交通『ゆりかもめ』(正式名称は、東京臨海新交通臨海線)も、大晦日から元旦は終夜運転をしているので、きっとお台場にはかなりの人々が集まっているはずだ。

 そのお台場に行くためには、現在走行している三車線の道路の一番左側に車線変更をしなければならないのだが、どうやらジョニーにはそちらに向かう気はまったくないようである。

 僕たちは中央寄りの車線をそのまま速度を変えずに進み、そのまま青海トンネルにすっと滑り込んで行く。

 そのトンネルは、入口から下りながら大きく右にカーブしており、路面には僕の嫌いな段差舗装が施されている。

 トントントンと一定周期の突き上げがあり、そのリズムに合わせて僕の身体も上下にピョコピョコと不快に動く。僕たち二輪車にとっては、あまり走り易い道ではない。

 トンネルの中はずっと大きな右カーブが続き、それが終わると今度は出口に向かってぐっと坂を上って行く。

 パレットタウンの大観覧車の前を通る片側二車線の道に並行するように、ジョニーと僕は青海駅の真下から飛び出して行く。

 そして、ジョニーは一瞬で左側の安全を確認し、二車線分の進路変更を一気に完了する。最左端の左折車線に移動した僕たちは、ここでもタイミング良く左折可能を示している青色の矢印信号に従って、左に軽くリーンしながら交差点を抜け、湾岸道路との立体交差である東京湾岸アンダーを東から西へと一気にくぐり抜けて行く。

 すると、今度は突然目の前にライトアップされた巨大なレインボーブリッジがその姿を現す。

 そのレインボーブリッジの袂にある首都高速道路の台場料金所を左手に見て、大きく左にコーナーリングしながらその橋を一気に駆けあがって行くと、更にどんどんと視界が開けて行く。

 左手にお台場、フジテレビ、ホテル日航東京、そして右手には晴海ふ頭、東京タワーといったランドマーク達が次々に僕の目に飛び込んで来る。

 ちらりとそれらの景色に視線を送りながら、更に上り続けて橋の中央部を過ぎると、今度は一気に道路は下り始める。左側車線から右車線への進路変更が禁止され、この下り坂部分にも施工されている走り心地の悪い段差舗装が終わると、最後は海の中に飛び込んで行くかのように左に大きく回り込みながら急激に道路は下って行く。

 気が付くと『ゆりかもめ』も、レインボーブリッジの中央部あたりではすぐに手が届きそうなところを並んで走っていたのに、あっという間にぐっと見上げるほどの高架の位置を走っている。

 旧海岸通りから潮路橋を越えて来た道との交差点を、矢印信号に従い左折し、更にもう一度左折を繰り返すと僕たちの目的地はもう目と鼻の先である。

 

 ジョニーは、この場所が本当に好きである。都内の夜走りの時は、必ずと言って良い程、この場所が最終の目的地となる。

 目の前に港湾労働者関係の建物があり、その左上方には、つい二~三分前に渡って来たばかりのレインボーブリッジを仰ぎ見る事が出来る。

 そして正面には、対岸から橋を渡り始めた時に左手に見て来たお台場臨海副都心の景色が、さらなる広がりをもって目に飛び込んでくる。

 時刻は6時をちょっとまわったところだ。大分空が白んで来てはいるが、日の出まであと40分少々の時間がある。

 

 

 ジョニーは売店の横に設置してある自動販売機で、いつものお気に入りのブラックコーヒーを買う。

 海から吹き付けて来る潮の香りを含んだ冷たい風を受けながら、ベンチに腰を掛けてそれを少しだけ口に含む。

 コーヒーのほろ苦い味と香り、そして暖かみを感じながら、今日から始まった新しい年に思いを巡らせる。

 家族、人生、旅、世界の平和、仕事、カブ吉の事etc……、様々なことをあれこれと考えては、また一口コーヒーをすする。

 ジョニーには特に意識をして『これだけは、忘れないようにしよう』と、注意していることがある。

 それは、そこそこに生きて来て『〇〇〇っていうのは、こういうものだ!』みたいな考え方に、あまり凝り固まらないようにするというものだ。

 世の中にいる人達は、恐らくそのほとんどが『自分の言動と行動は正しい』と信じて疑わずに生きているはずである。『私の言う事、やる事は全て間違っているので、あなたの思う通りにして下さい』などと言っている人に出会うことなど、まずあり得ない。

 ジョニーは思う。『それならば、周囲に大きな迷惑が掛からない限り、お互いに相手の言う事や行動を充分に考えて、それを尊重するように努めて行かない限り、きっと争い事が起こるだけなんじゃないのか』と。

 当然、皆がいろいろな考え方を持つ中で、バランスを取りながら様々な方向性や妥協点を見つけて行くために、大人ならお互いが努力をすることは必要だろうと思う。尚且つ、そのお互いが持つ考え方の方向性の先に『交錯して重なり合う思いをきちんと整理して、お互いが笑顔で暮らせる時代を本当に築き上げるのだ』と言う強い信念を持ち続けないといけない。互いが持つベクトルの先が、平行か若しくは開いていれば、いくら努力を続けても妥協点は見つからないのだ。その為には、相手の事を少しでも多く考え、思いを寄せる事だ。それが、ベクトルの先を少しずつでも閉じて行く方向に向けさせるはずだ。

 しかし、これだけで物事が全て上手く行く訳ではない。次に考えなければいけないのは、人間の持っている固定観念の問題だ。これは結構やっかいである。

 たとえ少しでも相手の事を考えて、これを受け入れていこうとすれば、多かれ少なかれ自分の持つ固定観念を、先に変えていかざるを得ないだろうと思う。

 でも、それが本当に可能なのか? 個々の人間が持っている固定観念を変化させるという大問題は、一朝一夕に出来る事ではないだろうという気がする。

 しかし、そうだからこそ、柔軟な思考と相手を尊敬する気持ち、それといつでも心を閉ざすことなく対話が出来る用意を持ち続けることが大切なんじゃないかなって思うのだ……。その為には、ちっぽけな自分一人の人生経験の裏付けしかない己の考えに、絶対に固執してはダメだとジョニーは考えている。

 

 そんな風に取り留めもなくいろいろな事を考えていると、気が付かない内にあっという間に時間は過ぎ、日の出の時刻が迫って来ていた。

「いけねぇ、いけねぇ! 考え事してる場合じゃなかったな。 カブ吉、初日の出だぞ! 今年もたくさんいろんな所を走ろうな!」ジョニーは僕の方を見ながら、ニコッと笑って声を掛ける。

 そして次の瞬間、ジョニーはもう僕に跨ってエンジンを始動していた。素早くギヤを1速に送り込み、後方を確認して発進する。

「カブ吉! レインボーブリッジの上の方が良く見えるから急ぐぞ!」

 ジョニーと僕は、さっき走って来たばかりの道を大急ぎで戻り、レインボーブリッジに駆け上がって行く。

 今度は大きく右にリーンしながら、橋の中央部に向かって螺旋状に造られた道路をどんどんと加速して行く。

 今水平線から出て来たばかりの太陽が、鮮烈なオレンジ色の光で東京湾を瞬く間に染めていく。

 上り坂に若干ロードの掛かった歯切れの良い排気音を響かせながら、僕たちはその光を全身に浴びてレインボーブリッジを西から東に向かって一気に上って行った。

 

(その二)に続く