カブ吉くん 月まで走れ(小説)-8

2011年1月(その二)

 

 一月も三が日が終わり小寒を過ぎる頃になると、寒さが一段と本格化してくる。ここから大寒を越えて立春までの約一ヶ月の間が、一年の中で最も寒さの厳しい時期となる。

 その寒さに立ち向かって行く為に、社外品ではあるがジョニーは僕にウインドシールドを取り付けてくれた。本来なら純正品をチョイスしなければならないのだが、ジョニーが希望する高さの物がないので、しかたなくここでも社外品のお世話になる。

 ウインドシールドの高さは、ちょうどジョニーの顎の下あたりだ。これより高いと夜間の雨中走行などでウインドシールドに付いた水滴が乱反射を引き起こしてしまい、ライダーの前方視界を著しく悪化させる。しかし、逆に低すぎるのもウインドシールド効果が薄れてしまうので、ライダーの顎の高さくらいがちょうどいいとジョニーは考えている。

 更にジョニーはウインドシールドの角度を調整して、若干風切音が増えてしまうが、ヘルメットのシールドへ風がうまく当たるように調整した。こうしてやると、雨天走行中はヘルメットのシールドに付いた水滴が面白いように後方に流れ飛んで行く。

 今月の前半は、二度ほど茨城方面に行く用事があった。一回目はまだウインドシールド装着前で、二度目は装着後という、比較をするのに理想的な状況となった。

 結論から言うと、ウインドシールドは、強風時の僕の走行安定性を大きく向上させる役に立った。特に前方から強い風が吹き付けて来る場合には、顕著にその効果を感じる事が出来る。

 フロントのリフトアップが抑えられ、大幅に直進安定性が向上したのだ。また当然防寒の意味でも、ジョニーの負担を大きく減らす事に貢献しているはずだ。

 また、気になる燃費に関しても、データ上の大きな悪化はないようなので、当初考えていた通りにウインドシールド装着を基本とする事となった。

 

 そして、この装備の追加をもって、当初計画した『雪の日以外は走ります』を大前提とした僕の『旅スペシャル化(基本仕様)』は、ほぼ完成した事になる。

 

 整理をすると次の通りだ。

 

【2011年1月現在 追加及び変更装備品】

1.フロントキャリア(純正品)

2.フロントバスケット中型タイプ(純正品)

3.ヘッドライトバルブ(社外品 ※12V35W/30W 消費電力変更なし)

4.ウインドシールド(社外品 ※ミドルタイプ)

5.グリップヒーター(純正品 ※冬季ハンドルカバーあり)

6.サーモクロック(社外品 ※純正設定なし)

7.ビジネスボックス(純正品)

8.リヤクッション(社外品 ※YSS製)

 上記以外は基本的にノーマルとする。しかし、今後耐久チャレンジを継続するにあたり、必要に応じて装備の追加及び変更はあるだろうというのが、現時点での考え方である。

 

 1月下旬、オドメーターが約16,000km時点でリヤタイヤが寿命となり交換する事になった。現在まで使用していたダンロップのD107(2.50-17)は、約7,000kmで1分山の状態となっていた。

「結局、これになっちゃったね~」と、ジョニーが『BSエクセドラG556』を触りながら吉村さんに話しかける。

「距離走らないライダーじゃダメだけど、ジョニーみたいに走るライダー達には、やっぱりこれが一番いいんじゃねぇのかなぁ?」吉村さんが答える。

「とりあえず一回定番というのを入れてみて、そのあとはダンロップのD104も一度試してみようかなって思うんだ」

 ジョニーは今まで履いていたメーカーと同じではあるが、より耐摩耗性を重視したD104にも興味があるようだ。

「そうだな、それもいいな。いろいろ試してみないと、何がそのライダーとマシンに合うか分からないからなぁ」両方の特性を知る吉村さんが答える。

「耐久性はやっぱりBSのような気がするけど……、だけど、グリップなんかはどうななんだろうね?」

 そんな会話のやりとりを聞いている間に、もう僕の後輪には新しい『BSエクセドラG556』がきれい装着されていた。

 

「カブ吉の装備も大体そろったし、今晩はタイヤの皮むきも兼ねて夜走りにでも行って来るかな……」ジョニーは僕に新しい装備を付けたり、部品が変わったりした時は必ずテスト走行に出掛けるようにしている。

「今晩は大分冷え込むらしいから、行くなら気を付けて行けよ」タイヤの交換を終え、手を洗いながら吉村さんが答える。

「そうすると、内陸じゃなくてやっぱり海だよね。……三浦半島あたりかなぁ?」出来るだけ寒くないところがいいジョニーは、吉村さんに背中を押して欲しそうだ。

「そうだなぁ、風がかなり強いとは思うが、三浦半島あたりが距離的にもちょうどいいかもしれないな」気心の知れた吉村さんは、顔に穏やかな笑みを浮かべて返事をする。

 

 二人の会話を聞いていると、今晩の三浦半島行きはほぼ決定みたいだ。タイヤの空気圧をフロント1.9、リヤ2.2にセットしてもらって、ジョニーと僕は一度家に戻った。その後ジョニーは一度仮眠を取り、夜中に出発することが決まった。

 

 また、整備情報が前後してしまうが、僕は15,000km時点でオイルとスパークプラグが交換されている。オイルは今までと同じG1だが、スパークプラグは3回続けて使ってきたデンソーから、なんとジョニーにとっては三十数年ぶりとなるNGK(純正指定)に変更された。それが原因と考えている訳ではないのだが、走行中にエンジンが停止してしまう事への確認の意味もあって、一度変更をしてみるという事らしい。

 

 

 1月30日(日)午前1時55分 気温1.2℃の中、ジョニーと僕は静かにスタートした。

新月も近い月齢25.3の為、月もほとんど顔を見せない、非常に強い風が吹きすさぶ凍えるような晩である。

「寒いよ~」ジョニーが無理して、おどけた声を出す。走り始めて4~5分は経っているのだが、まだグリップヒーターからは少しも暖かさを感じる事が出来ない状態である。

 今日のルートはいつも通り、環状七号線内回りを南千束まで走り、中原街道を越えたその先の松原橋第二京浜に入って行く。そして、そのまま第二京浜を横浜まで走り、そこからは国道16号線で横須賀まで向かう。そのあとは国道を一度離れて、観音崎浦賀久里浜と走り抜け、野比で一回国道134号線に戻る。三浦海岸で今一度国道と別れて、県道215号線を使い剱崎経由で三崎港に向かう。そこからは、油壷京急マリーナを通り、県道216号線と26号線を経由して走り、国道134号線に再び戻る。その後は葉山から逗子へと抜けて、県道205号線を使って六浦経由で金沢八景に出れば、後は往路を逆走して東京に戻るという、約200kmの夜間タイヤ慣らしツーリングである。

 

 環状七号線内回りを松原橋に向けて淡々と走る。タイヤの慣らしなので、速度は60km/hに上限を設定して移動して行く。

 それにしても風が強く、非常に寒い晩である。陸橋の上を通過する時は、本当に注意していないと、横風によって大きく飛ばされて、隣の車線まで流されてしまう危険性がある。

 松原橋から第二京浜に入っても、風の状況はあまり変わらない。この寒風の吹きつける風速と、乾燥した湿度の中で60km/hで移動を続けるという事は、恐らく僕を操るジョニーの体感温度は-10℃前後になっているのではないかと想像できる。

 グリップヒーターは、全開でジョニーの両手を温めている。しかし、ジョニーは口を真一文字に結んだまま、ほとんど喋ることがなくなってしまった。

 環状八号線の下をくぐり抜け、多摩川大橋を渡り川崎に入って行く。さすがに日曜日の未明でこの寒さだと、出歩いている人達はほぼいない。

 そして、走行している車の台数も極端に少なく、営業車を含めても『ほとんど走っていない』と、言ってもいいくらいのものである。

 

 尻手の交差点を過ぎ、南武線のガードをくぐる直前の左手に≪横浜市鶴見区≫の行政境界標識が設置されている。まだ鶴見川を渡る大分手前なのだが、この辺りはもう川崎市ではなく横浜市鶴見区になっているという事だ。

 尻手自体の地名は『横浜市鶴見区尻手』ではあるが、実はJR南武線尻手駅』は川崎市幸区にあるという、なんだかややこしい関係になっているようだ。

 僕は前からここを通るたびに気になっていたのだが、ジョニーが言うには『県境や市境は、山とか川という自然環境のよって決められる境と、その地域の人達が話し合って決められた境がある』という事らしい。

 通常は前者の自然環境で決める事が多いようなのだが、この横浜市鶴見区及び川崎市幸区と川崎区の市境界は後者になっているようだ。

 そして、そのいきさつとは、明治22年以前に鶴見川の南側にあった三つの村『生麦村、鶴見村、東寺尾村』と、北側にあった六つの村『潮田村、菅沢村、市場村、矢向村、江ヶ崎村、小野新田』が何回かの編入を経て、最終的に大正14年に神奈川県橘樹郡タチバナグン)鶴見町という『川を挟んで南北に跨る一つの町』として、先に出来上がっていたということである。決して横浜市川崎市が話し合ってこうなった訳ではないという事だ。

 横浜市としては、明治22年に市制施行はされていたものの、まだそのタイミングでは、十分な市域拡張を実施するに至っていなかったようで、その後、明治34年に第一次市域拡張を実施し、明治44年に第二次市域拡張、そして昭和2年の第三次市域拡張でようやく『鶴見町』を横浜市編入することになったそうだ。そして同年の10月の区制施行に伴い、『鶴見区神奈川区、中区、保土ヶ谷区磯子区』という、現在につながる最初の5区が置かれたという事である。

 それ以外にも、国道1号線なのに『第二京浜』と普通に呼ばれていたり、道路呼称にも何か歴史的な部分だけではなく、社会的な背景もあるようで僕はとても興味をそそられる。

 僕たちスーパーカブ仲間にも五十数年の歳月の積み重ねがあるが、初代C100が生まれた昭和33年より遥かに前の歴史に直接触れているようで、なんだかとても不思議な気持ちになってくる。

 

 鶴見川を渡り、下末吉の交差点を過ぎ、その美しいアーチが特徴的な『響橋』――地元愛称はめがね橋と言うそうだ――をくぐり抜けて行く。この橋も、実はただの橋ではなかった。聞いてびっくりの、すごい歴史を持っている。

 なんと、幻となった昭和15年(1940年)に開催されるはずだった『第12回東京オリンピック』の開催に合せて竣工された『橋』なのだそうだ。

 この『幻のオリンピック』は、史上初めて欧米以外の有色人種国家で開催されようとした大会でもあり、アジア地域では当然はじめてのことであった。

 そして、競技種目のフルマラソンの折り返し地点が、なんと、この『響橋』をランドマークとしてこの付近に設定されていたのだそうである。

 しかし、多くの国民が期待をしていたであろうそのオリンピックは、後の太平洋戦争につながって行く『支那事変』の影響もあって、当時の日本政府が開催権を返上したために、本当に『幻のオリンピック』となってしまう……。今から約70年以上も前のことである。

 日本だけではなく、世界も含めた近代史にとても興味を持つジョニーは、きっと今までもこの辺りを通る時には、ふっとそんな事に思いを馳せながら僕をライディングしていたのかもしれない。

 

 その響橋を通り過ぎた後、信号を二つ越え、右に大きくカーブしながら緩やかに坂を上って行くと、今度はその先の左手に『岸谷の湧水』が見えて来る。

 さすがにこの夜中に水を汲みに来ている人はいないが、湧水は少量ではあるが粛々と流れて続けている。

 この湧水も、昭和12年の『第二京浜国道』建設工事でこの切り通しを掘削した際、偶然に発見されたものだそうだ。

 

 新子安の交差点を通過して横浜線のガードをくぐる。今度はゆるく左から右へとカーブしながら浦島丘(うらしまおか)交差点に向かって緩やかに上って行く。そして、上り切ると同時に左手の視界がパッと開け、その奥には他のビル達とは次元の異なる高さを誇る横浜ランドマークタワーの灯りが確認出来る。

 

 立町交差点では横浜新道方面へ向かう右側車線には行かずに、一番左の車線に入り、そのまま11時方向に進んで行く。東神奈川駅に差し掛かる手前で、ちょうど駅の向かいにあるドーナツ店のネオンが煌々と輝いているのが目に飛び込んで来た。

 ジョニーは、一瞬僕のスロットルを小さく戻した。それに伴い、僕は若干の減速をする事となる。しかし、ジョニーはそれ以上のアクションは起こさず、再び僕のスロットルはじわりと開かれ、60km/hの車速に戻された。

 

 ジョニーの話しだと、このお店は三十五~六年前(1975年頃)には、間違いなくもうここに存在したらしい。

 当時、東京から横浜に夜走りに来ると、夜間に開いているようなお店はほとんどなく、いつもこのドーナツ店の煌々とした灯りが目に飛び込んで来たのだそうだ。

 特に冬の時期は、ジョニーの親友の田中さんと二人で夜走りに来ては、随分とこのお店にお世話になったようである。

 また、1971年の創業当時にはなかった、このドーナツ店の現在の人気メニューのひとつである『オールドファッション』がメニューに加わったのも、ちょうどその頃だったと言う話しである。

 

 家を出発してから、東神奈川のここまで約1時間くらいで来ている。けして長い時間ライディングしている訳ではないのだが、この寒さの中の走行だと、ジョニーはぼちぼち暖を取りたい気分になってきたようだ。

 ドーナツ店でも良かったのだが、進行方向の右側であった事と、山下公園の前に24時間のハンバーガーショップがあった事を思い出したジョニーは、そちらで休憩する事に決めたようだ。一瞬の減速は、そういう意味だったのだ。

 

 青木橋の交差点を一旦左折し、すぐに右へとクランクしながら横浜駅の東側に現在建設中の高層ビルである『横浜三井ビル(仮称)』の前を通り抜け、みなとみらい方面に進んで行く。

 三菱重工ビルから横浜ランドマークタワーのすぐ足下を通り過ぎ、神奈川県庁を左に見てその先の交差点を左折する。そしてすぐ右側にある開港資料館に沿って次の信号を右折し、大さん橋に入る交差点を軽く左から右へとリーンしながら抜けて行くと、目標のハンバーガーショップの暖かそうな赤と黄色の灯りが、右手に見えて来た。

 僕の右ウィンカーが点滅をはじめる。そして、その店の前の邪魔にならない場所に僕を滑り込ませたジョニーは、「ふう……」とため息をつきながら、チラッと温度計に目をやった。

「0.5℃かよ……」そう呟きながら、ジョニーはぶるっと一度身震いをした。

 

 時刻は、午前3時15分である。手袋をはずし、ヘルメットを脱いで、ジョニーは店の中に入って行った。 

 先客は赤い顔をして大きな声で楽し気に話している、男三人女二人の若者グループだけである。

 ジョニーは少しでも身体を温める為に、お腹に何か入れようと考えて『チーズバーガーのセット』を頼む事にした。

 程なくして商品をトレーに乗せたジョニーは、五人の若者達から少し離れた所に席を取り、朝食としては随分と早すぎる食事を始める。

 

「それにしても、寒いな……」フライドポテトを口に運びながら、ジョニーがぼそっと呟く。コーヒーをちょっと口に含み、また小さくため息をつく。

 

 防寒対策としてジョニーが選んだ一つひとつの装備は、確実に効果を発揮しているはずである。

 ウインドシールドは、ジョニーの上半身に当たる冷たい風を間違いなく減少させているだろうし、ハンドルカバーにしたって、オプションで装着したグリップヒーターの効果を最大限に発揮出来るように機能しているはずである。しかし、そうではあるが、とにかく今晩は猛烈に寒い……。

 店内の心地よい暖房の効き具合に、ジョニーは目を閉じて、しばらくのあいだ身体が温まるのを待つ事にした。 五人の若者たちの楽し気な会話が子守歌代わりになり、徐々に彼の意識レベルを下げて行く。

 

 小一時間程うとうとしながら暖を取る。身体の温まりを感じながら、ジョニーは徐々に覚醒に近づいて行く。

『さぁ、そろそろ走り出さないとな……』そんな事が脳裏に浮かんで来たのをきっかけに、彼は目を開いた。

 二杯目のコーヒーに口を付けながら、窓の外に視線を移す。ほんのりと店の照明に照らし出された樹々達が、枝を大きくしならせながら強風と闘っている。

 

 そのたわむ枝を見ながら「よしっ!」っと、ジョニーは小さく気合を入れた。

 店から出て来たジョニーは、短時間で身支度を済ませ、自分自身をも目覚めさせる為なのか、僕のエンジンをキックスタータを使い始動する。

 グリップヒーターのスイッチを最高レベルにセットすると、闇の中に鮮やかな赤いLEDが浮かび上がった。

 完全に冷えてしまった僕のエンジンが少し温まるまで、アイドリングをしながら一分ほど待つ。そして、ジョニーは一~二度スロットルを軽くあおり、僕のエンジンの回転に澱みがない事を確認した後、左足でギヤを一速に送り込み、静かに再び走り始めた。

 

 横浜港のシンボルともなっている、横浜マリンタワーを右手に見て、その先の山下橋の交差点を直進して行く。橋を渡るとすぐに左側から、横浜ベイブリッジに取り付けられている高光度航空障害灯の眩いほどの瞬きが目に飛び込んで来る。ピンと張りつめている冷気を、さらに増幅するかのような強烈な青白い光だ。

「参るなぁ~、ますます寒く感じちゃうよ~」ジョニーの口から弱音が漏れる。

 その先の小港橋交差点を、ジョニーと僕は少し遠回りではあるが、真っ直ぐかもめ町方面に進んで首都高速湾岸線の下に出て行く。60km/hを維持しながら、信号の少ない片側二車線の道路を、三渓園の南側を大きく巻くように淡々と移動して行く。八幡橋交差点からは、右方向から来る国道16号線と合流し、磯子新杉田とさらに南下を続ける。ここまで片側二車線だった国道16号線も、横浜環状3号線が右手からぶつかって来る青砥坂交差点を過ぎると片側一車線となり、その先のトンネルを抜けたところからは、さらに右側に京急本線の線路が並行して走るようになる。

 能見台から金沢文庫、そして金沢八景へと僕たちは一気に走り抜けて行く。金沢文庫を過ぎた君ヶ崎交差点から再び二車線となっていた車線が、六浦交差点の手前から再び直進一車線に絞り込まれる。右側の車線が右折車線となってしまう為に、昼間の時間帯はいつも渋滞をするこの六浦の信号を、今日はノンストップで快調に通過して行く。この交差点は、三浦半島を一周した後の帰り道に、京急六浦駅方面から環状4号線経由で再び通過する事になる交差点でもある。

 

 追浜を過ぎた辺りから、小さいコーナーを伴った短い隧道が頻繁に出て来るようになる。ほんの短い時間ではあるが、この楽しくリズミカルなコーナーとトンネルのアンサンブルが終わると、いよいよ横須賀の街に入って行く。

 JR横須賀駅のあたりは、左手を望めば海上自衛隊の潜水艦を含む自衛艦を多数見る事が出来るらしいのだが、まだ太陽の出ていないこの時間帯でははっきりと確認する事が出来ない。

 明るくライトアップされたショッパーズプラザ横須賀の前を通り過ぎ、横須賀市役所の手前を左に折れる。ここからは、観音崎まで海沿いを走る『よこすか海岸通り』である。

 案の定、遮蔽物が無くなった途端、進行方向左手の海から吹きつける強烈な風のせいで、片側二車線の左側を走っていた僕たちは右側車線近くまで一気に車体を流された。

「うっひょう~! 目が覚めるね~」左側からの風に負けないように、僕を若干左にリーンさせ、ハンドルを保持する腕に力を込めながらジョニーが強がりを言う。

 しかし、この風のおかげで空の雲が見事に吹き飛ばされて、視界は極めて良好である。海の向こう側にはおそらく房総半島の富津あたりであろうと思われる場所から、きらきらと小さなダイヤモンドを散りばめたような灯りが、しっかりと確認出来る。

 横浜横須賀道路の馬堀海岸ICの入口を過ぎると、道路は二車線から一車線に再び絞り込まれ、ゆるやかに左にカーブしながら坂を上って行く。

 走水小学校前の右コーナーを抜け、左から右へとさらにゆるいコーナーをクリアして行くと、ジョニーもお気に入りの、東京湾に面して絶好のロケーションを持つ『観音崎京急ホテル』の瀟洒な真白い低層建築が目に入って来る。

 ここには、開業当初『観音崎マリンスタジオ』というレコーディングスタジオが併設されていて、その当時は数多くのミュージシャン達が使っていたらしい。

 音楽好きのジョニーにとっては、そういう部分も含めて、ここが気に入っているのかもしれない。

 とは言いながらも、このホテルが開業した1985年頃は、ジョニーはラリーに夢中で、音楽とは段々と距離が出来始めていた時期らしいのだが……。

 

 そんな話しをジョニーにしてもらった事を考えながら走っていると、ホテル前を通過して僕を右にリーンさせながら、ジョニーが突然僕に話しかけてきた。

 

「……カブ吉~、みんな今頃、いい夢みてるんだろうなぁ……」

 

 実につらい一言である。

『真冬の寒風吹きすさぶ早朝午前5時過ぎに、僕と一緒にタイヤの皮むき夜走りをするよりも、暖かい布団の中でヌクヌクとしている方が幸せかもしれない……』というジョニーの思いに対しては、僕は全く反論の余地がない……。

 

 観音崎レストハウスの前の信号を右折し、短いトンネルをくぐり、更に県道209号線を走り続ける。馬掘海岸ICの辺りまでは国道16号線の表記があるのだが、その先の走水では、もうこの県道209号線に表記が変わっている。

 東京からここまでは全て幹線道路の移動なので、道路幅も広く、直線とゆるやかなコーナーの組み合わせだったのだが、この観音崎を過ぎたあたりからようやくオートバイが楽しい雰囲気で走れる道の感じに変わってくる。

「カブ吉~、やっとタイヤトレッドの端ヒゲが削れるなぁ」ジョニーが再び僕に声を掛ける。

 確かにそうだ。言われてみればここまで約80km走って来て、ほとんどがタイヤトレッド中央部分しか使っていないような気がする。

 ジョニーと僕は夜がだんだん白んできたとはいえ、相変わらず寒風が吹きすさぶ中、小さなコーナーの連続する県道を左右に軽くリーンしながら、タイヤの端ヒゲを意識しつつ快調に走って行く。

 浦賀駅前の信号を鋭角に左にターンし、今度は県道208号線に入る。ちょうど満潮の時刻と重なったのか、道路と海水面がとても近い気がする浦賀港の脇を抜け、道なりにどんどん進んでゆく。

 国道134号線が右側から合流してくる夫婦橋交差点を左に折れ、運河沿いに久里浜港に向かう。開国橋交差点にどんと突き当たり、信号を右折し200mくらい行ったところの右側に『ペリー上陸記念碑』が建つペリー公園がある。

 この記念碑が建立されたのは、今から110年も前の1901年(明治34年)だそうである。実際ペリーが浦賀に入港した後、久里浜に上陸したのが1853年(嘉永6年)の事らしいので、それから48年後にこの記念碑が建立されたということになる。

 また、その碑に『北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑』と筆をふるったのは、あの初代内閣総理大臣伊藤博文公との事である。

 歴史好きのジョニーにとっては、ペリー来航の時の資料を展示するペリー記念館と合わせて、どちらもたまらなく興味深いところではあるが、当然この時間帯は記念館も開館をしていないので、ジョニーには誠に申し訳ないのだが次回のお楽しみと言う事で走り続けてもらう。

 

 ペリー公園の先にある信号を超えると、今度は左手に東京湾フェリーターミナルの灯りが見えて来た。始発のフェリーを使って房総半島の金谷に渡るために、こんな時間にもかかわらず、結構な数の乗用車やオートバイが集まってきている。

「こんなに人がいるのなら、レストランも開いてんじゃねぇのかなぁ?」

ジョニーはそんな事を言うが早いか、僕の左ウィンカーを点滅させフェリーターミナルに滑り込んで行く。

「おぉっ! ラッキー! やっぱり始発までの待ち時間に食事する人がいるんだよなぁ」ジョニーが嬉しそうに声をあげた。

 どうやらレストランは開店しているようだ。ジョニーは僕の事を駐輪場に止め、あっという間に建物の中に駆け込んで行った。時刻は午前5時40分を少し回ったところだ。

 僕は駐輪場の中から、これから乗用車やオートバイを載せて金谷を目指すフェリーを見ていた。フェリーはすでに接岸していて、車輌甲板への扉を開いた状態で待機している。

 僕はまだフェリーに乗った事がない。ジョニーが言うには、中距離・長距離とツーリングをして行く中で、フェリーを使う事がない訳ではないらしい。北海道へ渡るには、必ず大間⇔函館、青森⇔函館などのフェリーを使用しないと北の大地に渡ることも帰ることも出来ないし、沖縄も当然そういうことになる。基本的に、離島関係も含め陸路が繋がっていない所へ行こうと思えば、フェリー使用が前提になるらしい。後は、鳥羽⇔伊良湖、四国⇔九州のように陸路を走るとあまりに時間が掛かってしまうようなルートも、フェリー使用の対象として考えているようだ。その時が来れば、僕もフェリーに間違いなく乗る事が出来るようなので、今から楽しみである。

 でも現時点では、僕の耐久性確認も兼ねているので、遠回りでも陸路で行ける限りは自走するという事を、ジョニーは大前提として考えているみたいだ。

 

 午前6時20分、金谷行き始発フェリーがちょうど汽笛を鳴らして出航するタイミングに、ジョニーが少しばかりの暖を取って戻って来た。

「カブ吉~、待たせてごめんよ~」僕のシートをぽんぽんと叩きながら、ジョニーは僕のご機嫌をとる。

「さてと、タイヤの方はどんな具合かな?」そう言いながら、センタースタンドを使って立っている僕の後輪をくるくる回し始める。ジョニーは、タイヤ表面を手で撫でながら異物のチェックも併せて行う。気温も低く、タイヤの温度も上がりにくい状態だが、タイヤ表面を手で触る限りでは問題はなさそうである。

「いいザラつき具合だね。 帰るまでにもう100kmちょっとは走るから、慣らしとしては充分かな」そんな事を言いながら、ジョニーはヘルメットを被り、手袋をしながら出発の準備を進めて行く。

 横浜の山下公園前から走り始めた時と同様に、キックスタータでエンジンが始動される。前後ブレーキの具合を確認した後、ジョニーと僕は東京湾フェリーターミナルから再び走り始めた。

 

 東京電力横須賀火力発電所の前をゆるく左に曲がりながら坂を上って行き、その先の短いトンネルをすうっと下りながら抜けて行く。すると突然目の前に、今、水平線から顔を出したばかりの太陽に照らされた碧い海が現れた。その海越しに房総半島の姿を確認しながら、そのまま行くと海に落ちてしまいそうな直角右コーナーを、ぐっとリーンを強めてクリアして行く。

 大小無数の波がしらにその陽光を蓄えて、真夏の碧さとはまた違う輝きを放つ波のさざめきを感じながら、これから走り抜けて行く津久井浜、三浦海岸、金田湾の各海水浴場を結ぶこの約10kmが、三浦半島浦賀水道側でのハイライトである。

 

 県道は一度海岸線から離れ、野比の交差点で134号線に合流して行く。吹いてくる風も幾分弱まり、綺麗な砂浜とキラキラと輝く波を見ながら、ジョニーと僕は相変わらずの60km/h前後のスピードで淡々と進んで行く。気温自体は、まだそれほど上がっていないはずだが、真っ暗な夜間のライディングと比べたら、明るい陽の光を浴びながら走っているだけでジョニーと僕はもう充分だった。

 

「いや~、いい時間にここに来れたなぁ~」やさしい陽の光を浴びてジョニーは機嫌がいい。

 ちょうどハンバーガーショップがY字路の真ん中にある三浦海岸の信号で、再び国道と別れ県道215号線に入って行く。

 それにしてもこのお店のロケーションは抜群である。今朝のように朝陽と波の素敵な日は、ここの2階席でその景色を眺めながらの朝食が最高の贅沢となるのだ。やはり、ここもジョニーの大のお気に入りの一つである。

 

 潮風と朝陽を浴びながら、ジョニーと僕は三浦海岸から金田湾へと進んで行く。小さな漁港を通り過ぎると、道は上りながら大きく右にカーブして、一気に海から離れ始める。

 そして、その坂は途中からさらに傾斜を増してゆく。ジョニーはスロットルをやや大きく開き、ぐぐっとその坂を上って行く。

 

「うわっ!」ジョニーは、いきなりうわずった声をあげた。

 

 今度は突然『緑色の海』の中に飛び込んでしまったかのような、そこは、あたり一面の早春キャベツ畑になっていた。

 この季節では,なかなか他で見る事が出来ない、新鮮で力強く若々しい鮮緑色のキャベツで道の両脇が埋め尽くされる光景である。

 

 ごく短い時間のインターバルで、どんどん景色に変化が現れるのも、この三浦半島ならではの面白さである。

 夜中の移動時はあれほど辛かったのが嘘のように、ジョニーと僕は快調に走り続けている。

 

 この先右手に見えて来る小さな郵便局の信号を左に入って行くと、いつも立ち寄る剱崎燈台なのだが、今日はこの走りのペースを崩したくないので、あえて剱崎には立ち寄らないこととなった。

 昔ながらの漁村らしい綺麗な形の江奈湾を左手に見ながら、トンネルを抜けてゆるい登り坂を上がって行くと、2基の増速型風力発電装置が見えて来る。優に30mを越えそうなその回転する大きなローターブレードの脇を通り過ぎると、道幅がいくぶん狭くなり、そして制限速度が30km/hにダウンする。

 ≪左/三崎港、右/横須賀・城ヶ島≫ という行先案内板を確認し、その先の信号を左折する。すぐに城ヶ島大橋の下をくぐり抜け、その先を右にカーブをしながら下って行くと、三崎港の一番奥の部分――恐らく港としての海の幅は、7~80mくらいしかないのではないかと思う――に突き当たる。

 道なりに信号を右折して、港の最深部をぐるりと左に巻きながら道なりに進んで行く。右から右へと曲率の異なる複合コーナーを抜けながら少し行くと、海越しの正面に三崎フィッシャリーナ・ウォーフ『うらり』(愛称)が見えて来た。

 再び海に突き当たり、もう一度右に曲がって先程と同じように港をぐるりと左に巻きながら『うらり』を左手に見て、その脇を抜けて行く。

 一瞬、ジョニーはここに立ち寄ろうと考えたのか、僕のウィンカースイッチにすっと指を掛けた。しかし、ちらりとハンドルの時計を確認した後、その指を静かに戻す。

 やはりまだ時間が早く、お店も開店していないようなので、そのまま走り続ける事を選択したようだ。ペリー公園と共に、この場所も次回のお楽しみである。

 

 『うらり』を通り過ぎてからは一度県道とも別れて、三崎港の港湾施設が建ち並ぶエリアのすぐ北側を走り抜けて行く。そして、たくさんのヨットが係留されている油壷マリーナの脇も、今までと変わらない快調なペースで駆け抜ける。

 

 この油壷には、日本水準原点――日本の水準測量の基準点。国会前庭北地区・憲政記念館構内にある。またこの憲政記念館のある場所は、戦前には陸軍省参謀本部が置かれていた場所でもあり、測量という行為が国を守って行く上で、軍事的にも非常に重要だったという事が分かる――の標高を検定する為、国土地理院の油壷験潮場が置かれている。古くから別荘地や観光地として有名な場所でもあるのだが、それだけではなく国防という意味においてもこの三浦半島は、ペリーがやって来た時代から現在に至るまで、非常に重要な地域であったという事を感じる事が出来る。

 

 そんな油壷湾を左手に見ながら一気に目の前の坂を上り切ると、油壷マリンパークに向かう県道216号線の信号に突き当たる。ここも当然時間外なので、立ち寄らずに先に進んで行く。

 途中県道から細い住宅街の道に入り込み、国道134号線の引橋交差点手前に合流して行く。国道134号線に合流した後は三浦海岸方面には戻らず、三崎口経由で葉山・逗子方向に進路を取る。

 左側に自衛隊武山駐屯地を見ながら1.5kmほど行くと、三浦半島最高峰の大楠山に入って行く交差点に差し掛かる。

 この山は標高こそ低いが、頂上に展望台があり、そこに上がると三浦半島全体を見渡せるのはもちろんの事、伊豆半島、富士山、箱根連山、大島、房総半島と360度の一大パノラマを堪能することが出来る場所である。しかし、頂上に着く少し手前から一部だけダート区間があるという理由で、今日はここにも立ち寄らない事となった。タイヤの慣らしが今回の目的なので、残念だけどしょうがない。

 

 久留和漁港から長者ケ崎あたりの磯の綺麗な風景を楽しみながら、さらに揚々と僕たちは国道を走り続ける。

 その先の葉山御用邸前の交差点でも、真っ直ぐに森戸方面の県道には行かず、道なりに右の国道134号線へと進路を取って行く。

 しかし、長柄の交差点では、今度は左に折れて行く国道には進まず、直進してJR逗子駅に向かう県道311号線に入り、逗子駅前を経由して県道205号線へと抜けて行く。もうこの辺りまで戻って来ると、ジョニーは完全に帰り道モードに入っている。

 

 太平洋戦争時は、『東洋一の弾薬庫』と言われた旧日本海軍池子弾薬庫――現在は、アメリカ海軍横須賀基地管理の在日米軍施設(通称:池子ヒルズ。家族住宅向け高層住宅、運動施設が多数ある)――の脇を通る京急逗子線に沿って、神武寺駅前を過ぎ池子トンネルをくぐり抜けて行く。

 六浦駅前を通り過ぎ、西六浦の信号で環状4号線に合流すると、すぐ目の前に京急逗子線京急本線のガードが見えて来る。その向こう側に見える信号が、往路でも通った国道16号線六浦の交差点である。

 

 時刻は、ちょうど午前8時になろうとするところだ。

 ここから先は、往路の逆走となる。まだ、日曜日の朝早い時間なので交通量は少なく、ストレスなく東京へ向けての帰路を進んで行ける。

 陽ざしの暖かさも手伝って、グリップヒーターの温度設定は、半分くらいで充分にジョニーの手を温めてくれる。的確なライディングで淡々と東京を目指すジョニーは、口数こそ少ないが、しっかりと覚醒しているようなので大丈夫だろう。

 磯子八幡橋では、往路と違い三渓園方向に直進はせず、そのまま国道16号線で伊勢佐木町から関内へと向かって行く。

 JR京浜東北根岸線のガードをくぐった先の尾上町の交差点を左折して、桜木町を右手に見ながら、高島町で国道1号線に合流する。

 後は、往路の完全な逆走となる。青木橋をクランクして第二京浜を上りこみ、鶴見から川崎と経由して多摩川を渡り、環状八号線を越え松原橋の立体交差で環状七号線外回りに入って行く。

 

 自宅への最終到着は、午前10時ちょうどとなった。タイヤ皮むき夜走りの走行距離は約200kmとなり、到着後ジョニーは僕のリヤタイヤからフロントタイヤの順に点検をしてくれる。

 特に交換したリヤタイヤは、念入りにトレッド表面の傷や異物のチェックを実施してくれた。その後もジョニーは、眠そうな素振りもみせずにチェーンの清掃と給油をして、今回の『三浦半島タイヤ慣らしツーリング』は全て終了となった。

 

2011年1月末現在 全走行距離 16,342km

(1月参考燃費 55.43km/ℓ )

月まであと、  368,058km