スーパーカブ 耐久チャレンジ

JA07型スーパーカブの耐久性を検証するブログです。

2020年11月 カブ吉くん 近況報告

 皆さまこんにちは、スーパーカブ耐久チャレンジの管理人です。

 

 11月に入ってから、世間では再び新型コロナウイルスの感染拡大が急速に進んでいるようです。

 国内としては、今年の1月下旬にクルーズ船『ダイヤモンドプリンセス号』内で陽性患者が発生してから約10ヶ月が経過しています。

 その間、日本全国の医療従事者の方々の頑張りに支えられ、また、多くの一般の人々の自粛の力によって第一波から第二波と乗り越えて来ましたが、ここに来て若干の息切れが起こって来ているようです。

 100年前の『スペイン風邪』が日本を襲った時も、第一波から第二波を経過してある程度の収束をみるまでに、約2年の時間がが掛かっています。そして、更に翌年の第三波まで終わった時点では、実に当時の日本国民(5500万人)の約43パーセントに当たる約2380万人が感染し、約39万人が死亡したと記録されています。

 100年前と比べれば、科学技術の面でも感染症への知見に関しても、間違いなく人間の持っている知識は向上しているはずなのです。しかし、突然『新型ウイルス』が出てきたりすると、人間が長年に渡り学んで来た程度の英知ではどうにもならず、すぐには有効な対応策が見いだせないというのが良く分かりました。日本政府にしても、『手洗い・マスク・三密』を念仏のように繰り返すのみで、未だに抜本的に有効な施策を打つ事が出来ない状態でいます。

 しかし、そんな中ではありますが、この『こまめな手洗い』や『消毒』、『対面時のマスクの着用』などは、それなりに効果があるという事も確実に分かりました。

 まだまだ、この『新型コロナウイルス』がこれからどのように変異していくのか、そして感染した人間たちにどのような後遺症をもたらすのか等々、分からない事がたくさんあります。

 この状況を見ても、どうやら短期で決着がつくことはなさそうです。どうか皆さまにおかれましては、決して焦ることなく、また心が病むことのないようにお暮し頂ければと管理人は思っております。また、こんなブログではございますが、少しでも皆様の気分転換にお役に立つのなら、幸いに思います。

 

 

  ジョニーさんも、日々感染に気を付けながらボチボチと仕事を続けていますが、たまに顔を出す吉村さんのところで、先日もこんな話しをしていました。

 

「しかし、考えてみると俺はカブ吉がいてくれて、幸せなんだよな~ってこの前思っちゃったんだよね。だって、好きなものがあって、それが一人で楽しめるっていうのは本当に凄い事だよね~。誰かと話しが出来なくても、走ってりゃストレスが溜まらないんだもんな~、不思議な乗り物だよね、オートバイってのは……。80年代後半の森高千里ちゃんに教えてあげたいくらいだよ」っと、相変わらずのジョニーさんです。

 

「おぉ~っ、そう言えばそんな歌を綺麗な脚をした女の子が唄ってたな~。ストレスが地球をだめにするとかなんとかって……。かわいい女の子だったな~」吉村さんも思い出しながら、にこにこしています。

 

「吉村さん、僕たちの千里ちゃんに対して、なんかイヤらしいから……」ジョニーさんがぶっきらぼうに呟きます。

 

「……、お前に言われたくないわ……」吉村さんは、少しあきれながらジョニーさんに返事をします。

 

どうやら、この二人には『ストレス』はあまり関係ないようです。

 

 今月も前置きが長くなってしまいました。申し訳ございません。

それでは、11月の近況報告を始めましょう。

 

 先月まで好燃費を連発していたカブ吉くんですが、結果的にみれば今月もその勢いは止まりませんでした。

 11月としての今までの最高平均燃費である59.65km/ℓ を記録した2015年の走行内容を少し振り返ってみると、初旬にいつもの忍野への『うどん蕎麦買出しツーリング』と、中旬に実行された『軽井沢・山梨ツーリング』という2回のツーリングが含まれています。

 燃費の比較という意味で、出来るだけ条件を揃えたかったジョニーさんは、今月の初旬こそ忍野への『うどん蕎麦買出しツーリング』に5年前を真似して行ってみたのですが、その後の『軽井沢・山梨ツーリング』については、何だか気分が乗らなかったのか、それとも5年前の若さをもう失ってしまったのかは分かりませんが、結局実行する事が出来ませんでした。

 ツーリングに行けば、好燃費を記録できる事はある程度分かってはいるのですが、実際行けなかったのであればしょうがありません。目の前にあるこの走行データを基に比較していく事にします。

 まず、燃費に影響が出るそれぞれの年の11月の天候を比較してみると、2015年は雨天の日が10日ほどもあり、2020年は2日しかありません。そして、一日の最高気温の平均も、2015年の方が約0.9℃ほど低くかったのです。 そういう意味では、2015年の燃費数値は、あまり条件の良くない中で記録されたにも関わらず、中々の好燃費の数値であると考えられます。

 しかし、それを踏まえた上でも、今年の11月に記録したカブ吉くんの月間平均燃費は、61.99km/ ℓ という、11月度としては初めての60km/ ℓ を超える非常に良い数値となりました。走行エリアとしては、東京23区内、川崎市横浜市等がメインとなっています。

 また、今月の走行の中には、実行する事が出来なかった『軽井沢・山梨ツーリング』の代わりといっては何ですが、ジョニーさんのストレス発散の為に、カブ吉くんの慣らし運転の時によく行っていた練馬を出発して大宮から川越をくるっと回って来る夜走りや、環七通り外回り一周夜走りなどを数回実行をしています。しかし、その夜走り自体の燃費は60km/ ℓ を微妙に割り込むほどの燃費でしたので、今月の好燃費への貢献度は、あまりないかもしれません。

 まぁ、全くの同条件と考える事には無理があるのせよ、過去の11月で一度も燃費60km/ ℓ 以上というのを記録した事がないのですから、ここは素直にカブ吉くんの燃費は、今月も間違いなく向上していたのだという事を認識していいのだと思います。

 それから、これはカブ吉くんのエンジン性能の話しになりますが、『うどん蕎麦買出しツーリング』実行時の、山中湖に向かう『道志みち』にあるカブ吉くんのエンジンの調子のバロメーターとなる山伏トンネルの手前の直線坂路でも、現在装着されているドライブチェーンだと、久しぶりに絶好調時と同様に3速でぐいぐいと上って行く事が確認出来たのです。

 こういう事実を目の当たりにすると、走行性能や燃費に直接影響を及ぼすドライブチェーンに関しては、『まだ延びていないから』とか『チェーンアジャスターの引き代は、まだ半分もいってないから』などと言って、いつまでも使い続けてはいけないのだと言う事がよく分かりました。

 ジョニーさん自身は、20万キロを過ぎてからは、好調時と比較すると若干性能の低下を感じる事が多くなったように思っていたのですが、それはとんでもない間違いだったようです。

 確かにマフラーから煙りが出るオイル下がりの症状はありますが、ドライブチェーンと前後スプロケットを交換してからのカブ吉くんは、燃費も含めてほぼ好調時と変わらない性能を現時点でも維持していると思います。

 

 しかし、そんな好調を維持し続けているカブ吉くんではありますが、今月はそのカブ吉くんの部品の一つであるストップランプのスイッチが不良となり、交換となってしまいました。

 このスイッチ(部品正式名称:リヤブレーキライトスイッチ)は、カブ吉くんが2010年7月に走りはじめて、その年の12月の約1万4千キロ時に、新車装着のストップスイッチが初期不良となり、それと交換されたものです。

 ですから、かれこれ24万4千キロの仕事を続けて来てくれたスイッチとなります。右サイドカバー下にちょこっと顔をのぞかせたこのスイッチは、当然雨や風を直接受け続けます。その中で、これだけ長い間キチンと仕事をやってくれていたのですから、ジョニーさんは感謝の気持ちで一杯になります。

 そして、少し下世話な話しになってしまって申し訳ないのですが、このスイッチの値段が990円(税抜き)しかしないというのも、驚くべき事実かもしれません。

 これも、ほかのオートバイ達では中々真似する事が出来ない、60年を越えて生き続けている『スーパーカブ』ならではの凄い力のような気が致します。

 

 来月のカブ吉くんは、恐らく26万キロを通過すると思いますので、エアクリーナやスパークプラグの交換が実施される予定です。

 現在、別のタイミングで『メンテナンス エンジン廻り編』という記事もアップしておりますので、 そちらと併せてお楽しみ頂ければ幸いでございます。

 

  皆さま、いよいよ冬のライディングの時期になりました。

 手や身体が寒さで硬くなると、ライディングの安全マージンが著しく低下してしまいます。どうか、お気に入りの暖かいウエアを纏って、この季節でしか味わえないライディングをお楽しみくださいませ。

                                    管理人

 

2020年11月末現在 全走行距離 258,501km

(11月走行距離 2,124km 月間燃費 61.99km/ℓ )

月まであと 125,899km 

 

 

カブ吉くん メンテナンス(エンジン廻り編)その一

 皆さまこんにちは、スーパーカブ耐久チャレンジの管理人です。

 

 昨年の暮れに掲載した『カブ吉くんメンテナンス(ハンドル廻り編)その四』の一番最後のあたりに、『次回は、エンジン廻り編の予定です。お楽しみに』などといい加減な事を書いてしまってから、約11ヶ月が経過しています。

 そんな状況の中、今年の3月にアップさせて頂いたメンテナンス記事は、予定とは違う『カブ吉くんメンテナンス(オイル編)その二』という記事でございました。

 『あれれっ?』と、思われた方もいたのではないかと思いますが、勝手に予定を変更してしまい、大変申し訳ございませんでした。

 皆さまの寛大な心でスルーして頂いたのかは分かりませんが、幸いコメント欄に苦情等の書き込みもなく、管理人をはじめ、ジョニーさん、吉村さん、カブ吉くんを含めて、関係者一同(そんなにいませんが……)ほっと胸を撫で下ろしておりました。

 

 

 ようやくと言ってはなんですが、大変お待たせしてしまった『エンジン廻り編』をボチボチと始めさせて頂きたいと思います。

 

 まず、今回の『エンジン廻り編』の内容としては、下記の記載した項目について、一つずつ丁寧に書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します。

 

 

1.クラッチ

2.エアクリーナ(定期交換部品)

3.スパークプラグ

4.カムチェーンテンショナ関係

5.バッテリー

6.ACジェネレータ

7.スタータモータ

※.番外編(センタースタンド他)

 

 ドライブスプロケットやドライブチェーンをこの『エンジン廻り編』に含めるかどうかも考えてみたのですが、こちらは、別途『駆動系編』というくくりで書いてみたいと思いますので、今回は触れていません。

 

 

 カブ吉くんは、上記のメンテナンス(1番と7番は何もしていませんが……)を実施しながら、2020年11月上旬の時点で約25万7千キロを走っています。

 皆さまは、この1番から7番に記載しているメンテナンス項目を見て、一体どのようにお感じになるのでしょうか?

 『大したメンテナンスしてないんだなぁ、こんなんで25万キロ走っちゃうんだぁ~』と、お思いになる方や、『えぇ~、こんな細かくメンテナンスしなきゃダメなの~?』と、お考えになる方等、いろいろの方がおられるのではないかと管理人は思います。

 しかし、1970年代中盤からオートバイに乗り始めたジョニーさんにとっては、エンジンに関して実質的に上記の2番から6番までの、たったこれだけのメンテナンスでカブ吉くんが25万キロを走ってしまうというのは、もう驚き以外の何物でもありません。本当に技術の進歩というのは凄いものなのだという事を、つくづくと思うところであります。

 ベテランの方たちも同じ気持ちではないかと思いますが、今の21世紀のオートバイ達のエンジンメンテナンスには、点火系の調整だとか燃料系の調整というものは、スーパーカブも含めてほとんど存在しないのです。

 昔は、火花が飛んで荒れてしまったポイント接点を磨き、点火時期をきっちり合わせて、キャブレターをスローからメインまでしっかり調整して、やっとエンジンは快調に回るものだったのですが、最近のエンジンは点火系はフル・トランジスタ点火やCDI点火が中心で、燃料系もほとんどがインジェクションなので、エンジンの最も大切な部分であるこの二つに関しては、いつも絶好調が当たり前です。

 ジョニーさんも含めて、ベテラン単車乗り達がこの二つのメンテナンスにどれだけの時間を割いて来たかという事を考えると、本当に隔世の感があります。

 

 1970年代の古い話しで恐縮ですが、現在のJRがまだ国鉄日本国有鉄道)だった頃、東京の中央線の吉祥寺駅北口の真ん前に『GEORGE(ジョージ)』という喫茶店がありました。

 そこの従業員だった二谷さんは、ジョニーさんと同じサッカー部のライトウィング(昔はこんなポジションがありました。70年メキシコW杯のブラジル代表で言うと、フォワードのほぼ真ん中がペレで、その右側にいるジャイルジーニョのポジションです。当時のブラジルのシステムは4・2・4です)で、オートバイ大好き青年です。

 彼は、グリーンの綺麗なツートンに塗り分けられた愛車の『ホンダドリームCB500Four』をいつも店の前に停めていました。ですから、彼が出勤しているかどうかは、駅を降りて北口の改札を出た瞬間に分かるのです。

 このオートバイのキャッチコピーである『静かなる男のための500』というフレーズと、残念ながら75年にフランスのサーキットで亡くなってしまいましたが、故隅谷守男氏(CB500改で全日本選手権鈴鹿ロードレース等に参戦をしていた、二輪ドリフトを使いこなすとてもクレバーで速いライダーでした)のイメージが重なり、ジョニーさんもこのオートバイが大好きでした。

 また、当時吉祥寺には国内盤としては配給のないジャンルの洋楽を扱っていた輸入盤レコード店の芽瑠璃堂(ニュー・ミュージック・マガジン編集長の故中村とうよう氏や小倉エージ氏もよく来ていました)や、ミュージシャンたちの演奏を目の前で聞けるぐゎらん堂や曼荼羅等のライブハウスもあり、当時のジョニーさん達にとっては身近な遊び場のようなものだったのです。

 たまたま、二谷さんのCB500の調子が悪かったりするタイミングでジョニーさんが店に現れたりすると、

『ジョニー、ちょっと悪いんだけどCB診てくれないかな? なんだかスムーズに吹けないんだよなぁ~』

などと二谷さんに言われたジョニーさんは、いきなり店の前でCB500のポイントを磨き始めたりします。

 真夏の炎天下に、吉祥寺の駅前でハイビスカス、パームツリー、パイナップルがみんな一緒に描かれた派手なアロハを来た長髪の兄ちゃんが、地べたに座り込んでオートバイをメンテナンスしているのです。

 吉祥寺に来た買い物客(当時の吉祥寺は、現在のようなお洒落なイメージではなく、近隣に住む人々が普通に衣類や惣菜などを買い出しに来る街でした)たちは、興味深そうにジョニーさんを眺めていったそうです。

 結構シュールな感じもしますが、ジョニーさん的には割と頻繁にそんな事をしていたそうなので、ひょっとするとこのブログを訪れた方の中にも、そんな光景を記憶に留めている方がおられるかもしれません。

 なんだか考えているだけで、不思議な感じでわくわくしちゃいますね~。

 

 すみません……。また、大きく脱線してしまいました。

 

 話しを『エンジン廻り編』に戻しましょう……。

 

 この1番から7番という順番は、『ノーメンテナンスのものから、定期的に部品交換を行っているもの、過去に故障を起こしたもの、これから故障しそうなもの』という並びになっていますので、参考にして頂ければ幸いです。 それでは、始めます。

 

 

1.クラッチ

 

 カブ吉くんの中で、現在まで一度もメンテナンスとして手を触られたことのない、数少ない場所の一つになります。

 まぁ、ごく一般的な湿式多板コイルスプリング式のクラッチなので、エンジンオイルの定期的な交換が一番のメンテナンスと言えなくもないのですが、それ以外にR.クランクケースカバーのオイル給油口の右下にあるロックナットを緩め、アジャストスクリュを回すような調整は、現在まで一度も実施された事がないという事です。

 ジョニーさんに何かメンテナンスをしない特別な理由があるのか聞いてみたら、こんな答えが返ってきました。

「まず、わざわざ調整をする必要を感じないというのが一番かな……。エンジンが熱を持ったりすると多少ギヤチェンジのフィーリングが変化したりするけど、それって結構当たり前の事で、取りたててクラッチを調整するほどのものでもないくらいに感じているよ。普通のギヤチェンジをするオートバイに乗っているライダーなら、みんなそう思うくらいのクラッチフィーリングの変化レベルだと思うな……。それから、あと、やっぱり一番の理由は、カブ吉と走り始めた時に、吉村さんに『触るな!』って言われた事かな~、俺って素直だからさ~、ハッハッハッハ……」

 

 とりあえず、ジョニーさんの性格は置いておいて、吉村さんの『触るな!』について少し考えてみたいと思います。

 

 JA07型スーパーカブの取扱説明書には、簡単なメンテナンスと言う事で《クラッチの作用の点検》という項目があります。

 これは、『キックした時にペダルに踏みごたえがあるか?』とか、『エンジンを始動して1速に入れた時にマシンが動き出したりしないか?』を点検しろという意味で書かれています。

 どこにも、『ロックナットを緩めてアジャストスクリュを約1回転……」などと書かれてはいないのですが、いきなりこれをやってしまう日本人のなんと多い事か……(チコちゃんの森田美由紀アナウンサー風に読んで下さい)。

 昨今は、インターネットを使えばこういう整備情報は簡単に入手する事が出来ます。まして、この整備には特殊工具などは必要ありません。スパナとマイナスドライバーがあれば出来てしまいます。

 自分のマシンに若干でも違和感を覚えたら、少しでもいいからその状態を良くしてやりたいという気持ちはもの凄くよく分かります。でも、このスーパーカブクラッチ調整という整備は、実はとても微妙な整備であり、また要注意整備なのです。

 実際、調整をしてうまくいく事もあれば、グダグダになって更にひどい状態になってしまい、吉村さんのお店に駆け込んで来る日本人の……(以下、繰り返し)。

 

 この整備をする上での作業の注意に関して、『サービスマニュアル』には次のように記載されています。

 

≪エンジンオイルの粘度と量はクラッチの切れ具合に影響する。クラッチが切れにくかったり、クラッチを切っても車体が前に動く場合は、クラッチを点検する前にオイルの粘度と量を点検する≫

 

 いかがでしょうか? 

 純正オイルやその相当品以外のエンジンオイルを使用している場合などは、微妙に滑りが出てみたりして、調整が難しかったりする事があるかもしれません。

 カブ吉くんでさえG2(10w-40)を入れていると、ジョニーさんがたまにやるフルスロットルでの加速のシフトアップの際には、クラッチが微妙に滑るのです。G1(10w-30)では、まずこういう事はおこりません。

 エンジンオイルの量も多かったり少なかったり、交換時期が過ぎていたりすれば、当然影響があると考えられるのです。

 そういう部分をすべてクリアして、それでも改善が見られなかった場合に、ようやく実際の調整(整備)をしていくのが本来の手順です。

 

 でも、ジョニーさんの若い時もそうでしたが、経験はないんだけど興味だけは人一倍ある時期は、もう何を言ってもしょうがないんですよね~。どうしても、いじっちゃう……。そして、手に負えなくなるような事態を招いてしまう……。

 オートバイの世界では、これを『いじり壊す』と言って、将来的に有能なライダーへなる為の大切な登竜門と位置付けております(ウソです)。

 

 そのような理由も含めて、それが吉村さんの『触るな!』と言う事につながるのですが、そういう事を全部経験済みのジョニーさんだから『は~い』と言って、そのままノータッチとなりますが、普通は絶対そうはならないような気も致します。

 人間というのは『触らないで!』とか『絶対見ないで!』とか言われれば言われるほど、逆に触りたく……

 

 ……、すみません。突然ですが話しをクラッチの耐久性の話しに戻します。

 エンジンがノーマルである限りは、エンジンオイルを定期的に交換してやる事と、出来るだけ1速発進をする事を心がけてやれば、カブ吉くんのように20万キロ走ってもクラッチに問題が起こる事はまったくないと思います。そのぐらいJA07型スーパーカブクラッチは優秀です。

 しかし、JA07型の取扱説明書にはギヤの速度範囲として、2速発進も可能である記載(JA10型も同様の記載があります。JA44型はありません、気を付けて下さいね)がありますが、ジョニーさんはのろのろと発進するのが嫌いなので、下り坂以外では2速発進はしません。

 あと、ジョニーさんの乗り方の特徴としては、エンジンブレーキを使用する事を目的(減速する為に!)としてシフトダウンするような乗り方はしません。当然、峠道を走っている時はジョニーさんも積極的に減速時にエンジン回転を合せながらシフトダウンを併用しますが、それはブレーキをリリースした後に、直ちに加速する為にそうしているのです。

 ジョニーさんは、高いギヤを選択したまま低い速度で走る事もありませんし、その時に欲しい速度や駆動力に見合う適切なギヤを常に選択しています(ゆっくり走っているという意味ではありません)。

 ひょっとすると、こういう部分も、このクラッチの調整を一切せずにここまで走って来れた理由となっているのかもしれませんね。

 

 今回はメンテナンスに記事の割には、ジョニーさんの昔ばなしが長くなってしまい、申し訳ございませんでした。

 2番のエアクリーナ以降については、また次回のお話しとさせて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 

(その二)に続く

                                   管理人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月 カブ吉くん 近況報告

【 中秋の名月ツーリング 】

 

 皆さまこんにちは、スーパーカブ耐久チャレンジの管理人です。

 

 2020年10月1日は、中秋の名月でございました。旧暦8月15日の月の事で、皆さまもよくご存じの十五夜です。

 そして、同じく今月の29日は十三夜となります。天候にも恵まれて、多くの場所で二つのお月見をされた方がおれられたのではないでしょうか?

 ジョニーさん、吉村さん、カブ吉くんもその例外ではなく、それぞれに趣のある美しいお月見を楽しませて頂きました。

 

 今月の近況報告は、冒頭にもあります通り『中秋の名月ツーリング』の話しをさせて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 

 

 吉村さんとジョニーさんは、随分前からよくこんな話しをしていました。

 

「いつ頃だったか忘れちまったけど、随分前にちょっとした用事で山梨の身延温泉に行ったことがあってな~。まだ、中央道は調布から河口湖までしか出来てなかったころじゃねぇかな……。それで、夕方過ぎに用事が終わって、じゃぁ帰ろうって事になったんだけど、その日はえらく月の綺麗な晩でな……。どうせ下道走って帰るなら、本栖を抜けて月見をしながら帰ろうって事になった訳だ」

 

「へぇ~、身延から本栖に抜ける道って、国道300号じゃなかったっけ……。あそこの道は、最後に本栖湖に上がって行く手前の辺りは結構ヘアピンだらけの道だったよね?」

 

「さすがジョニーだな、よく知ってるな~。それで、身延を出て52号から300号に入って富士川を渡ってちょっと行ったところにある下部温泉のあたりだったかなぁ、とにかくでっかくて凄い満月だったんだ。ありゃ、きっと今でいうところのスーパームーンってやつだったのかもしれねぇなぁ」

 

「あんまりよく覚えてないけど、確かに40年以上前だと、みんなそんな呼び方はしてなかったような気がするな~、実際なんて呼んでたんだろうねぇ~?」

 

「そうだなぁ~、俺も覚えてねぇな……。まぁ、それはおいといて、その国道300号の辺りっていうのは、民家もあんまりないし、当然街灯なんてものは全くありゃしない訳だ。月が出てなけりゃ、本当に真っ暗な道なんだな、これが。でも、その時は凄かったんだ、ライト消しても走れるくらいの月の明るさがあったんだよな~。なんたって、月の光りではっきりと影が出来るくらいだったからな~」

 

「そりゃ~凄いね~。月の光りで影が出来るなんてことは、なかなかないもんね……。昔、時代劇の中でよく悪党が『月夜の晩ばっかりじゃねぇからなっ!』なんて凄んでたけど、本当に月夜の晩って明るかったんだろうねぇ。だから、その逆の闇夜の晩が脅し文句になってるって事だもんね。って、そういう事じゃなくて、単純に俺もそんな状況でその場所を走ってみたかったなぁ~」

 

「確かにな。その時代は月の出ない晩なんかは、本当に漆黒の闇みたいなもんだったのかも知れねぇなぁ……。そんな中を提灯持って歩いてて、黒尽くめの悪党たちに待ち伏せなんかされたら、そりゃ~もう生きちゃ帰れねぇわなぁ……」

 

「……吉村さん、怖いから……」

 

「おっ!? すまんすまん、別に怖がらせるような話じゃねぇんだけどな。まぁ、そんな凄い月夜の晩もある訳だから、ただ距離で月を目指すだけじゃなくて、もっといろんな意味で月との関係性を創っていくのに、たまにはジョニーとカブ吉で『お月見ツーリング』っていうのも洒落てるんじゃねぇかと思ってな」

 

「なんだかんだ言いながらも、吉村さんちゃんと俺たちの企画考えてくれてたんだ~。ありがとう、なんかそれ面白そうだね。そうしたら、ちょっと仕事のスケジュールだとかを調整しながら、満月のタイミングとうまい具合に合うかどうかをやってみようかな? あとは場所の問題だけど、やっぱり吉村さんのそんな話し聞いちゃったら、国道300号を富士川の方から本栖に向かうルートかな?」

 

「うん、それでいいんじゃねぇか。まぁまぁ暗いし、黒尽くめも出そうだしな~」

 

「やめてよ、吉村さん。本当に怖いんだから……」

 

――失礼致しました――

 吉村さんとジョニーさんの相変わらずの会話ですが、実はこの話しはもう5年以上も前からされていた話しなのです。

 この会話がされた翌年くらいから、ジョニーさんはどこかのタイミングで実行しようとずっと考えてはいたのですが、いい月が見れそうな時にはジョニーさんの仕事の都合がつかず、仕事の調整が何とかつきそうな時は天候が不順で月が見えない等で、ずるずると今まで延びてしまっていたのです。

 今回の2020年10月1日の『中秋の名月』も、ジョニーさんの仕事の調整はうまくついていたのですが、やはり最後まで天候の問題が残っていました。

 9月の最終週が始まった時点では、10月1日の天気予報にはしっかり傘のマークが表示されていました。

「あ~、やっぱり今年もダメなのかな~?」と、ジョニーさんも毎年の事なので、やや諦めムードでした。

 しかし、9月30日の午後になると東海地方から関東地方にかけて接近していた雨雲たちは、徐々に南の方向にずれて行きます。そして、10月1日の午前9時頃はまだ弱い雨がパラパラと降っていたのですが、その後急速に晴れ間が広がり天候は一気に回復に向かいます。

 ジョニーさんは、もしかして天候が回復した場合を考えて、いつでもツーリングが実行できるように10月1日の午後から2日にかけて有給休暇を事前に申請していました。

 ジョニーさんは、本当に嬉しそうに吉村さんのお店に早速電話をします。

「もしもし、吉村さん? 今日『中秋の名月ツーリング』に行く事にしたから、後でプラグの交換に寄るからね~」

「 OK、分かった。やっとだな……。気を付けて来いよ」短い返事ではありますが、吉村さんもここに至るまでの経過を知っているので、安堵を感じさせる優しいものとなりました。

 

 10月1日 17時25分、ジョニーさんとカブ吉くんはスパークプラグの交換を追えてひとしきりおしゃべりをした後、吉村さんのお店を出発します。

 タイミング的には、ちょうど仕事終わりの時間と重なる事もあって、下り方面の道路はやや流れの悪い状況ですが、ジョニーさんとカブ吉くんの二人はそんな事はあまり気にしている様子はありません。何故ならば、この時期の月の出はかなり遅く、本日の主役である『中秋の名月』は、まだまだ東の空の低い位置で、優しい光を投げかけているからです。

 二人の最終目的地である山梨県下部温泉南天に、この『中秋の名月』が煌々と輝きを放つのはだいたい午後11時頃だという事を予想して、この夕方の出発時間を決めているのです。

 そして、そこに到着するまでの暫くの間は、『中秋の名月』とのランデブー走行をゆっくり楽しむ時間です。それなので、ルート選択も渋滞を避けるためのジョニーさんお得意の裏道を通ることはありません。月が出来るだけ見えるように、東の空への視界が確保できる道を選んで走行して行きます。

 

 ジョニーさんとカブ吉くんが練馬から国道20号線(甲州街道)を目指して北から南へ移動している時は、ふと左に顔を向けて東の空を見ると、まだまだ低い位置ではありますが、優しい光りを放ちながら、その『満月』が凛とした姿を見せています。

 その後も、渋滞中の府中の辺りでは二人の背中をやわらかく照らし、八王子を通過する辺りでも少し高度は上がりましたが、まだ左後方からの遠慮がちなランデブーです。

 しかし、二人が大垂水峠を越えて、中央自動車道の相模湖インターチェンジの付近まで来ると、その『中秋の名月』はすでに南東の位置まで移動して大分高度も上がり、いよいよその輝きに力を増してきました。

 それとは裏腹に、寒さをやせ我慢していたジョニーさんとカブ吉くんは、第一回目の休憩を取るために、上野原のコンビニエンスストアにへろへろと入っていきます。そして、カブ吉くんを停めるやいなや、ジョニーさんはトイレに直行です。

 

 9月から10月のこの時期は、朝晩と昼間の気温差がかなりあります。吉村さんのお店を出発した時は、コットンのジャケットだけで走り始めたジョニーさんでしたが、今日の夜間走行の事を考えて、ちゃんとカブ吉くんの前カゴに夜間走行用のジャケットを準備して来ていました。

 そして、寒いのが大嫌いなジョニーさんは、その夜間走行用ジャケットに大垂水峠の手前で着替える予定だったのです。

 しかし、世の中というのは本当に不思議なものです。

 大垂水峠を上り始める辺りで、ちょうどジョニーさんとカブ吉くんの前をノロノロと走る一台の乗用車がいたので、そろそろこの辺りで夜間走行用ジャケットを着ようかなと思っていた矢先に、その乗用車は急に右折して二人の前からいなくなってしまったのです。

 突然、目の前に誰も走っていない非常に魅力的な状況が現れてしまいました。

 『これで、もし止まって着替えている間にトラック等に先行されてしまうと、それはそれで何だか悲しいものがあるよな~』と考えないライダーは、世の中にそうそういないような気が致します。

 そういうところは、ジョニーさんも決して例外ではありません。必然的に、そのまま走行継続です。まだ、ハンドルカバーはまだ付けていないので、手の暖かさを確保するために、グリップヒーターは全開です。でも、手の甲側が冷やされてしまうので、手のひら側を含めても、ジョニーさんはあまり暖かさを感じません。

「若いライダー達は、きっとこのぐらいの寒さは何てことないんだろうな……」

ジョニーさんはこんな言葉をつぶやいたのを最後に、口を真一文字に閉じたまま、しばし沈黙の世界に突入します。

 大垂水峠自体はそれほど標高の高い峠ではないのですが、まだ寒さに身体が慣れていないジョニーさんを震えさすのには十分な威力を持っていました。

 相模湖駅前を横切り、相模湖インターチェンジの辺りも何とか我慢をしながら通り過ぎて、先ほどお伝えした上野原のコンビニエンスストアに、二人はようやくとたどり着いたのでした。

 

 20時頃到着して、約30分間の間にパンとホットコーヒーの簡単な食事を済ませたジョニーさんは、夜間走行用のジャケットに着替えた後、再びカブ吉くんに跨ります。

 その後は、国道20号線を快調に下り込み、猿橋の脇を抜けて大月の市街地を通り過ぎ、笹子トンネルをくぐり抜けて勝沼に入れば、もう甲府盆地突入です。ジョニーさんは、久しぶりに見る大好きな甲府の夜景に上機嫌です。

 そのまま二人は甲府バイパスを走り続けて、竜王で一回目の給油をします。今回のツーリングは、予定では約300kmくらいの走行になるはずなので、どこかで一回給油をしないと間に合いません。お月見が終わった後の夜中の帰り道で、ガソリンスタンドが見つからずに心細くなりたくないので、ここでの給油がベストです。

 しかし、寒さのせいもあるのか燃費はあまり伸びておらず、ここまで140kmくらいを走って来て、約60km/ℓ くらいの燃費です。やはり、気温が低い上に電装などの負荷が増えると、燃費は途端に伸びなくなります。

 『中秋の名月』の位置は、ずいぶんと高い位置に変って来ています。先を急がなければなりません。

 二人はこの先の韮崎まで国道20号線を走り、そこからは県道42号線(旧国道52号線)に入り、下部温泉を目指します。

 ジョニーさんは、ツーリングに出た時は基本的にあまりバイパスを使いません。その町の歴史や匂いを感じたくてカブ吉くんと走っているので、その町の風情を感じさせない道には魅力を感じないからです。ですから、今回も韮崎市立病院を通り越して、船山橋を左折し釜無川を渡って行きます。

 

 話しは少し変わりますが、実はジョニーさんにとって韮崎という町は少し思い入れのある場所の一つであります。ジョニーさんのお爺様が亡くなったのが韮崎の市立病院なのです。

 お爺様は亡くなる前は、白州町(はくしゅうまち、現在の北杜市の一部)にお住まいでした。そこで倒れて市立病院に運ばれた時には、既に危篤の状態だったのです。

 夜遅くに病院から連絡が入り、そこからバタバタと支度をして、その当時ジョニーさんが競技に使っていた『三菱ランサー1600GSR(有鉛ハイオク仕様)』にお父様とお母様を乗せて、大雨の中を東京から韮崎まで全開で走ったことが昨日のことのように思い出されるそうです。この時点でも、まだ中央自動車道勝沼ICまでしか出来ていなかったそうです。もう、41年も前の話しですが……。

 

 富士川町に入り、大きな富士川を左手に見ながらジョニーさんとカブ吉くんは更に52号線を南下して行きます。新早川橋を渡って身延町の手前の上沢の交差点を左折していよいよ国道300号線を走り始めます。

 富山橋で富士川を渡り、すぐに信号を右折して波高島の駅方面に進路を取ります。この辺りは昔とあまり変わりがないような気もするのですが、ジョニーさん自身も10年以上訪れていない場所なので、記憶があまり定かではありません。

 旧道を使い、トンネルを通らずに今一度国道に出てから少し走ると常葉川(ときわがわ)の対岸に下部温泉を見るやや広い駐車帯のある場所に到着です。時刻は、23時を少しまわったところです。

 『中秋の名月』は、予定通り南天に煌々と輝いています。素晴らしい月夜の晩になっています。気温はカブ吉くんの温度計で見ると、14.5℃を表示しています。

 ほぼ目的地に到着をしたのですが、ジョニーさんはなんだかあまり浮かない顔をしています。

「なんか、結構明るいなぁ……。もっと、街灯なんかなくて暗い感じで、月だけが煌々としているイメージだったんだけどなぁ……」

 どうやら、ジョニーさんは吉村さんが話してくれた昔の光景を勝手に想像して、自分の中に別のイメージを創り上げてしまっていたようです。

「まぁ、いいか~。これはこれで充分に素晴らしい『中秋の名月』だもんな。それに、ひょっとしたらこれから先、本栖湖に向かって走って行くとそんな光景に出くわすかも知れないしなぁ」

 10分ほどその場で月を眺めていたジョニーさんは、カブ吉くんに跨り、再び国道300号線を走り始めます。

 程なくして、国道はコーナーが連続して続くようになり、一気に高度を上げて行きます。昔は、親友の田中さんと共に幾度となく走った場所です。

 久しぶりに走る『本栖みち』は、ここでもジョニーさんの印象と大分違い、随分早く中之倉トンネルが見えて来てしまいました。このトンネルを抜けると、もう本栖湖に到着です。

 ジョニーさんの印象では、もっともっとたくさんコーナーがあったような気がしていたのですが、ごくごく短時間で駆け上がってしまった気が致します。人間の感覚と言うものは、本当にあてにならないものであります。

 本栖湖畔で再び『中秋の名月』を見上げます。ここでは、うまくいけば『中秋の名月』に照らされる富士山が見られるのではないかと期待をしていたのですが、残念ながら富士山は雲に覆われていて見る事が出来ませんでした。気温は、先ほどの下部温泉から3℃さがった、11.5℃まで落ちています。

 波の穏やかな本栖湖に映る『中秋の名月』を目に焼き付けて、ジョニーさんとカブ吉くんは帰路へとつきます。

 国道139号線を使い、青木ヶ原樹海の脇を抜けて、富士吉田経由で一気に高度を下げ、大月まで出ます。そこからは、国道20号線を往路とは逆にどんどん上り込み、大垂水峠越えで東京を目指します。

 途中、自宅近くの24時間営業のガソリンスタンドでカブ吉くんに給油を済ませ、自宅最終到着は午前2時40分、321kmのツーリングとなりました。

 

 

 皆さま、今月も冒頭の『中秋の名月ツーリング』の報告に長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

  カブ吉くんに関するそれ以外の報告としては、エンジンオイルの交換が一回と『冬支度整備』が実施されています。

 エンジンオイルに関しては、珍しく交換までのあいだに補給をする事はありませんでした。しかし、交換直前のエンジンオイルレベルは、ゲージの下端(ロアレベル)まで落ちていたので、オイルの消費が減少しているだけで、なくなっている訳ではありません。

 『冬支度整備』に関しては、いつも通りのスピードメータケーブルの清掃及び給脂と、バッテリーの補充電を実施しています。フロントブレーキケーブルは、今年の1月末に交換したばかりなのでノータッチです。

 バッテリーの補充電については、計測時に12.83vを表示していたので、スルーしても良かったのですが、ここのところ新型コロナの影響で乗ったり乗らなかったりがハッキリしているので、冬に向けての安全対策で補充電を実施しました。充電後のバッテリー電圧は、13.13vまで上がっています。

 

 最後になりますが、7月から9月までずうっと好燃費を記録し続けているカブ吉くんですが、今月の月間燃費は62.64km/ ℓ を記録しました。

 これは、10月の最高燃費として記録されている2013年の62.94km/ℓ には0.3km/ℓ ほど及びませんでしたが、相変わらず好調をキープしているようです。

 11月の過去最高燃費は、2015年の59.65km/ℓ となります。カブ吉くんは、外気温も一気に下がる11月に一体どんな燃費を記録するのでしょうか?

また、来月に報告をさせて頂きます。お楽しみに!

 

 それでは皆さま、暖かいライディングウェアを身に纏い、引き続き初冬のライディングをお楽しみ下さい。

                                   管理人

 

2020年10月末現在 全走行距離 256,377km

(10月走行距離 2,012km 燃費 62.64km/ℓ )

月まであと 128,023km