スーパーカブ 耐久チャレンジ

JA07型スーパーカブの耐久性を検証するブログです。

2020年10月 カブ吉くん 近況報告

【 中秋の名月ツーリング 】

 

 皆さまこんにちは、スーパーカブ耐久チャレンジの管理人です。

 

 2020年10月1日は、中秋の名月でございました。旧暦8月15日の月の事で、皆さまもよくご存じの十五夜です。

 そして、同じく今月の29日は十三夜となります。天候にも恵まれて、多くの場所で二つのお月見をされた方がおれられたのではないでしょうか?

 ジョニーさん、吉村さん、カブ吉くんもその例外ではなく、それぞれに趣のある美しいお月見を楽しませて頂きました。

 

 今月の近況報告は、冒頭にもあります通り『中秋の名月ツーリング』の話しをさせて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 

 

 吉村さんとジョニーさんは、随分前からよくこんな話しをしていました。

 

「いつ頃だったか忘れちまったけど、随分前にちょっとした用事で山梨の身延温泉に行ったことがあってな~。まだ、中央道は調布から河口湖までしか出来てなかったころじゃねぇかな……。それで、夕方過ぎに用事が終わって、じゃぁ帰ろうって事になったんだけど、その日はえらく月の綺麗な晩でな……。どうせ下道走って帰るなら、本栖を抜けて月見をしながら帰ろうって事になった訳だ」

 

「へぇ~、身延から本栖に抜ける道って、国道300号じゃなかったっけ……。あそこの道は、最後に本栖湖に上がって行く手前の辺りは結構ヘアピンだらけの道だったよね?」

 

「さすがジョニーだな、よく知ってるな~。それで、身延を出て52号から300号に入って富士川を渡ってちょっと行ったところにある下部温泉のあたりだったかなぁ、とにかくでっかくて凄い満月だったんだ。ありゃ、きっと今でいうところのスーパームーンってやつだったのかもしれねぇなぁ」

 

「あんまりよく覚えてないけど、確かに40年以上前だと、みんなそんな呼び方はしてなかったような気がするな~、実際なんて呼んでたんだろうねぇ~?」

 

「そうだなぁ~、俺も覚えてねぇな……。まぁ、それはおいといて、その国道300号の辺りっていうのは、民家もあんまりないし、当然街灯なんてものは全くありゃしない訳だ。月が出てなけりゃ、本当に真っ暗な道なんだな、これが。でも、その時は凄かったんだ、ライト消しても走れるくらいの月の明るさがあったんだよな~。なんたって、月の光りではっきりと影が出来るくらいだったからな~」

 

「そりゃ~凄いね~。月の光りで影が出来るなんてことは、なかなかないもんね……。昔、時代劇の中でよく悪党が『月夜の晩ばっかりじゃねぇからなっ!』なんて凄んでたけど、本当に月夜の晩って明るかったんだろうねぇ。だから、その逆の闇夜の晩が脅し文句になってるって事だもんね。って、そういう事じゃなくて、単純に俺もそんな状況でその場所を走ってみたかったなぁ~」

 

「確かにな。その時代は月の出ない晩なんかは、本当に漆黒の闇みたいなもんだったのかも知れねぇなぁ……。そんな中を提灯持って歩いてて、黒尽くめの悪党たちに待ち伏せなんかされたら、そりゃ~もう生きちゃ帰れねぇわなぁ……」

 

「……吉村さん、怖いから……」

 

「おっ!? すまんすまん、別に怖がらせるような話じゃねぇんだけどな。まぁ、そんな凄い月夜の晩もある訳だから、ただ距離で月を目指すだけじゃなくて、もっといろんな意味で月との関係性を創っていくのに、たまにはジョニーとカブ吉で『お月見ツーリング』っていうのも洒落てるんじゃねぇかと思ってな」

 

「なんだかんだ言いながらも、吉村さんちゃんと俺たちの企画考えてくれてたんだ~。ありがとう、なんかそれ面白そうだね。そうしたら、ちょっと仕事のスケジュールだとかを調整しながら、満月のタイミングとうまい具合に合うかどうかをやってみようかな? あとは場所の問題だけど、やっぱり吉村さんのそんな話し聞いちゃったら、国道300号を富士川の方から本栖に向かうルートかな?」

 

「うん、それでいいんじゃねぇか。まぁまぁ暗いし、黒尽くめも出そうだしな~」

 

「やめてよ、吉村さん。本当に怖いんだから……」

 

――失礼致しました――

 吉村さんとジョニーさんの相変わらずの会話ですが、実はこの話しはもう5年以上も前からされていた話しなのです。

 この会話がされた翌年くらいから、ジョニーさんはどこかのタイミングで実行しようとずっと考えてはいたのですが、いい月が見れそうな時にはジョニーさんの仕事の都合がつかず、仕事の調整が何とかつきそうな時は天候が不順で月が見えない等で、ずるずると今まで延びてしまっていたのです。

 今回の2020年10月1日の『中秋の名月』も、ジョニーさんの仕事の調整はうまくついていたのですが、やはり最後まで天候の問題が残っていました。

 9月の最終週が始まった時点では、10月1日の天気予報にはしっかり傘のマークが表示されていました。

「あ~、やっぱり今年もダメなのかな~?」と、ジョニーさんも毎年の事なので、やや諦めムードでした。

 しかし、9月30日の午後になると東海地方から関東地方にかけて接近していた雨雲たちは、徐々に南の方向にずれて行きます。そして、10月1日の午前9時頃はまだ弱い雨がパラパラと降っていたのですが、その後急速に晴れ間が広がり天候は一気に回復に向かいます。

 ジョニーさんは、もしかして天候が回復した場合を考えて、いつでもツーリングが実行できるように10月1日の午後から2日にかけて有給休暇を事前に申請していました。

 ジョニーさんは、本当に嬉しそうに吉村さんのお店に早速電話をします。

「もしもし、吉村さん? 今日『中秋の名月ツーリング』に行く事にしたから、後でプラグの交換に寄るからね~」

「 OK、分かった。やっとだな……。気を付けて来いよ」短い返事ではありますが、吉村さんもここに至るまでの経過を知っているので、安堵を感じさせる優しいものとなりました。

 

 10月1日 17時25分、ジョニーさんとカブ吉くんはスパークプラグの交換を追えてひとしきりおしゃべりをした後、吉村さんのお店を出発します。

 タイミング的には、ちょうど仕事終わりの時間と重なる事もあって、下り方面の道路はやや流れの悪い状況ですが、ジョニーさんとカブ吉くんの二人はそんな事はあまり気にしている様子はありません。何故ならば、この時期の月の出はかなり遅く、本日の主役である『中秋の名月』は、まだまだ東の空の低い位置で、優しい光を投げかけているからです。

 二人の最終目的地である山梨県下部温泉南天に、この『中秋の名月』が煌々と輝きを放つのはだいたい午後11時頃だという事を予想して、この夕方の出発時間を決めているのです。

 そして、そこに到着するまでの暫くの間は、『中秋の名月』とのランデブー走行をゆっくり楽しむ時間です。それなので、ルート選択も渋滞を避けるためのジョニーさんお得意の裏道を通ることはありません。月が出来るだけ見えるように、東の空への視界が確保できる道を選んで走行して行きます。

 

 ジョニーさんとカブ吉くんが練馬から国道20号線(甲州街道)を目指して北から南へ移動している時は、ふと左に顔を向けて東の空を見ると、まだまだ低い位置ではありますが、優しい光りを放ちながら、その『満月』が凛とした姿を見せています。

 その後も、渋滞中の府中の辺りでは二人の背中をやわらかく照らし、八王子を通過する辺りでも少し高度は上がりましたが、まだ左後方からの遠慮がちなランデブーです。

 しかし、二人が大垂水峠を越えて、中央自動車道の相模湖インターチェンジの付近まで来ると、その『中秋の名月』はすでに南東の位置まで移動して大分高度も上がり、いよいよその輝きに力を増してきました。

 それとは裏腹に、寒さをやせ我慢していたジョニーさんとカブ吉くんは、第一回目の休憩を取るために、上野原のコンビニエンスストアにへろへろと入っていきます。そして、カブ吉くんを停めるやいなや、ジョニーさんはトイレに直行です。

 

 9月から10月のこの時期は、朝晩と昼間の気温差がかなりあります。吉村さんのお店を出発した時は、コットンのジャケットだけで走り始めたジョニーさんでしたが、今日の夜間走行の事を考えて、ちゃんとカブ吉くんの前カゴに夜間走行用のジャケットを準備して来ていました。

 そして、寒いのが大嫌いなジョニーさんは、その夜間走行用ジャケットに大垂水峠の手前で着替える予定だったのです。

 しかし、世の中というのは本当に不思議なものです。

 大垂水峠を上り始める辺りで、ちょうどジョニーさんとカブ吉くんの前をノロノロと走る一台の乗用車がいたので、そろそろこの辺りで夜間走行用ジャケットを着ようかなと思っていた矢先に、その乗用車は急に右折して二人の前からいなくなってしまったのです。

 突然、目の前に誰も走っていない非常に魅力的な状況が現れてしまいました。

 『これで、もし止まって着替えている間にトラック等に先行されてしまうと、それはそれで何だか悲しいものがあるよな~』と考えないライダーは、世の中にそうそういないような気が致します。

 そういうところは、ジョニーさんも決して例外ではありません。必然的に、そのまま走行継続です。まだ、ハンドルカバーはまだ付けていないので、手の暖かさを確保するために、グリップヒーターは全開です。でも、手の甲側が冷やされてしまうので、手のひら側を含めても、ジョニーさんはあまり暖かさを感じません。

「若いライダー達は、きっとこのぐらいの寒さは何てことないんだろうな……」

ジョニーさんはこんな言葉をつぶやいたのを最後に、口を真一文字に閉じたまま、しばし沈黙の世界に突入します。

 大垂水峠自体はそれほど標高の高い峠ではないのですが、まだ寒さに身体が慣れていないジョニーさんを震えさすのには十分な威力を持っていました。

 相模湖駅前を横切り、相模湖インターチェンジの辺りも何とか我慢をしながら通り過ぎて、先ほどお伝えした上野原のコンビニエンスストアに、二人はようやくとたどり着いたのでした。

 

 20時頃到着して、約30分間の間にパンとホットコーヒーの簡単な食事を済ませたジョニーさんは、夜間走行用のジャケットに着替えた後、再びカブ吉くんに跨ります。

 その後は、国道20号線を快調に下り込み、猿橋の脇を抜けて大月の市街地を通り過ぎ、笹子トンネルをくぐり抜けて勝沼に入れば、もう甲府盆地突入です。ジョニーさんは、久しぶりに見る大好きな甲府の夜景に上機嫌です。

 そのまま二人は甲府バイパスを走り続けて、竜王で一回目の給油をします。今回のツーリングは、予定では約300kmくらいの走行になるはずなので、どこかで一回給油をしないと間に合いません。お月見が終わった後の夜中の帰り道で、ガソリンスタンドが見つからずに心細くなりたくないので、ここでの給油がベストです。

 しかし、寒さのせいもあるのか燃費はあまり伸びておらず、ここまで140kmくらいを走って来て、約60km/ℓ くらいの燃費です。やはり、気温が低い上に電装などの負荷が増えると、燃費は途端に伸びなくなります。

 『中秋の名月』の位置は、ずいぶんと高い位置に変って来ています。先を急がなければなりません。

 二人はこの先の韮崎まで国道20号線を走り、そこからは県道42号線(旧国道52号線)に入り、下部温泉を目指します。

 ジョニーさんは、ツーリングに出た時は基本的にあまりバイパスを使いません。その町の歴史や匂いを感じたくてカブ吉くんと走っているので、その町の風情を感じさせない道には魅力を感じないからです。ですから、今回も韮崎市立病院を通り越して、船山橋を左折し釜無川を渡って行きます。

 

 話しは少し変わりますが、実はジョニーさんにとって韮崎という町は少し思い入れのある場所の一つであります。ジョニーさんのお爺様が亡くなったのが韮崎の市立病院なのです。

 お爺様は亡くなる前は、白州町(はくしゅうまち、現在の北杜市の一部)にお住まいでした。そこで倒れて市立病院に運ばれた時には、既に危篤の状態だったのです。

 夜遅くに病院から連絡が入り、そこからバタバタと支度をして、その当時ジョニーさんが競技に使っていた『三菱ランサー1600GSR(有鉛ハイオク仕様)』にお父様とお母様を乗せて、大雨の中を東京から韮崎まで全開で走ったことが昨日のことのように思い出されるそうです。この時点でも、まだ中央自動車道勝沼ICまでしか出来ていなかったそうです。もう、41年も前の話しですが……。

 

 富士川町に入り、大きな富士川を左手に見ながらジョニーさんとカブ吉くんは更に52号線を南下して行きます。新早川橋を渡って身延町の手前の上沢の交差点を左折していよいよ国道300号線を走り始めます。

 富山橋で富士川を渡り、すぐに信号を右折して波高島の駅方面に進路を取ります。この辺りは昔とあまり変わりがないような気もするのですが、ジョニーさん自身も10年以上訪れていない場所なので、記憶があまり定かではありません。

 旧道を使い、トンネルを通らずに今一度国道に出てから少し走ると常葉川(ときわがわ)の対岸に下部温泉を見るやや広い駐車帯のある場所に到着です。時刻は、23時を少しまわったところです。

 『中秋の名月』は、予定通り南天に煌々と輝いています。素晴らしい月夜の晩になっています。気温はカブ吉くんの温度計で見ると、14.5℃を表示しています。

 ほぼ目的地に到着をしたのですが、ジョニーさんはなんだかあまり浮かない顔をしています。

「なんか、結構明るいなぁ……。もっと、街灯なんかなくて暗い感じで、月だけが煌々としているイメージだったんだけどなぁ……」

 どうやら、ジョニーさんは吉村さんが話してくれた昔の光景を勝手に想像して、自分の中に別のイメージを創り上げてしまっていたようです。

「まぁ、いいか~。これはこれで充分に素晴らしい『中秋の名月』だもんな。それに、ひょっとしたらこれから先、本栖湖に向かって走って行くとそんな光景に出くわすかも知れないしなぁ」

 10分ほどその場で月を眺めていたジョニーさんは、カブ吉くんに跨り、再び国道300号線を走り始めます。

 程なくして、国道はコーナーが連続して続くようになり、一気に高度を上げて行きます。昔は、親友の田中さんと共に幾度となく走った場所です。

 久しぶりに走る『本栖みち』は、ここでもジョニーさんの印象と大分違い、随分早く中之倉トンネルが見えて来てしまいました。このトンネルを抜けると、もう本栖湖に到着です。

 ジョニーさんの印象では、もっともっとたくさんコーナーがあったような気がしていたのですが、ごくごく短時間で駆け上がってしまった気が致します。人間の感覚と言うものは、本当にあてにならないものであります。

 本栖湖畔で再び『中秋の名月』を見上げます。ここでは、うまくいけば『中秋の名月』に照らされる富士山が見られるのではないかと期待をしていたのですが、残念ながら富士山は雲に覆われていて見る事が出来ませんでした。気温は、先ほどの下部温泉から3℃さがった、11.5℃まで落ちています。

 波の穏やかな本栖湖に映る『中秋の名月』を目に焼き付けて、ジョニーさんとカブ吉くんは帰路へとつきます。

 国道139号線を使い、青木ヶ原樹海の脇を抜けて、富士吉田経由で一気に高度を下げ、大月まで出ます。そこからは、国道20号線を往路とは逆にどんどん上り込み、大垂水峠越えで東京を目指します。

 途中、自宅近くの24時間営業のガソリンスタンドでカブ吉くんに給油を済ませ、自宅最終到着は午前2時40分、321kmのツーリングとなりました。

 

 

 皆さま、今月も冒頭の『中秋の名月ツーリング』の報告に長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

  カブ吉くんに関するそれ以外の報告としては、エンジンオイルの交換が一回と『冬支度整備』が実施されています。

 エンジンオイルに関しては、珍しく交換までのあいだに補給をする事はありませんでした。しかし、交換直前のエンジンオイルレベルは、ゲージの下端(ロアレベル)まで落ちていたので、オイルの消費が減少しているだけで、なくなっている訳ではありません。

 『冬支度整備』に関しては、いつも通りのスピードメータケーブルの清掃及び給脂と、バッテリーの補充電を実施しています。フロントブレーキケーブルは、今年の1月末に交換したばかりなのでノータッチです。

 バッテリーの補充電については、計測時に12.83vを表示していたので、スルーしても良かったのですが、ここのところ新型コロナの影響で乗ったり乗らなかったりがハッキリしているので、冬に向けての安全対策で補充電を実施しました。充電後のバッテリー電圧は、13.13vまで上がっています。

 

 最後になりますが、7月から9月までずうっと好燃費を記録し続けているカブ吉くんですが、今月の月間燃費は62.64km/ ℓ を記録しました。

 これは、10月の最高燃費として記録されている2013年の62.94km/ℓ には0.3km/ℓ ほど及びませんでしたが、相変わらず好調をキープしているようです。

 11月の過去最高燃費は、2015年の59.65km/ℓ となります。カブ吉くんは、外気温も一気に下がる11月に一体どんな燃費を記録するのでしょうか?

また、来月に報告をさせて頂きます。お楽しみに!

 

 それでは皆さま、暖かいライディングウェアを身に纏い、引き続き初冬のライディングをお楽しみ下さい。

                                   管理人

 

2020年10月末現在 全走行距離 256,377km

(10月走行距離 2,012km 燃費 62.64km/ℓ )

月まであと 128,023km