スーパーカブ 耐久チャレンジ

JA07型スーパーカブの耐久性を検証するブログです。

カブ吉くん 月まで走れ(小説)-9

 2月に入ってからは、1月下旬のあの寒さがうそのように随分と暖かい日が続いていた。

 しかし、そのオートバイに乗るのに絶好の暖かい日が多くなっているのにもかかわらず、今月はジョニーと出掛ける回数がどうした訳か大分減っているのだ。

 それに、僕に乗って走っている時も、ジョニーは何となくあまり楽しそうじゃない。ここのところ毎日帰りが遅いので、仕事がすごく忙しいというのは分かるんだけど、それでも先月までは何とか時間を作って一緒に走ってくれていたので、とても気になってしまう。

 そして、最近はそんな感じで帰りも遅いから、走る時間も距離も急に短くなってきてしまった……。また、ライディング中に僕に話しかけてくれる事も、めっきり少なくなってしまったような気がする。ちょっと前までは、走りながらしょっちゅう話しかけてくれていたので、そんな事もよけいに気になってしまう。

 2月11日(金曜日)の建国記念の日から始まる三連休も、『前半は雪の可能性が高い』という情報を天気予報が伝えているので、ジョニーは走りに行く計画を特段立てていないようだ。

 メンテナンスの方も、距離をあまり走っていないので、今現在手を入れる所もほとんどない。チェーンの調整とか給油も、1月末に三浦半島に行ったあとにジョニーがやってくれたので、次回予定のメンテナンスまで、まだ600kmほどの距離がある。

 

 

 その週末の関東地方は、やはり天気予報で言っていた通りに、雪模様の荒れた天候となった。

 2月11日(金)の建国記念の日は、四国沖から北東進する南岸低気圧の影響で、四国から東北南部への広い範囲で雨や雪、平野部でも若干の積雪がありそうだとテレビが伝えていた。都心部では早朝から湿った雪が降り始め、お昼を過ぎても若干の強弱を伴いながら、結局、一日中しっかりと雪が降り続くというあいにくの天気となった。

 翌日の土曜日も、午前中は一旦やんでいた雪が、午後になってからまた降り始めた。しかし、幸いなことに二日間とも多量な積雪につながらない湿った雪だった為、都区内では若干の雪は残ったものの、山間部のように交通の障害となるようなひどい状況にはならずに済んだ。

 

 そして、ようやく天候の回復した2月13日(日)に、ちょうど走行距離も17,000kmを越えたところなので、ジョニーと僕は吉村さんの所にオイル交換をしに行く事になった。

 でも、家から直接吉村さんのお店に行くと、エンジンがちゃんと温まらないうちに着いてしまうので、ジョニーは今使っているエンジンオイルがきれいに抜けるように、いつもと違う道を使って少し遠回りをしながら、エンジンを充分に温めて吉村さんの店に行くことにした。

 

 走りながら街の様子に目をやると、車が通るところは大体除雪がされているようにみえる。しかし、歩道や車道の路肩の部分などは、まだ一部雪が残っているところもあるようだ。日が当たらず融け残った雪がそのまま凍ってしまうと、歩道を歩く人たちや、自転車や二輪車のように車道の左側端近くを走ることが多い乗り物たちにとっては非常に危険である。

 道路に店舗が面しているような場所では、そこの商店主たちによって比較的きれいに除雪がされているが、それ以外のところではどうしても雪が残ってしまう部分がある。特に住宅街の日が当たらない道路や路地は大変である。

 ジョニーが言うには、東京の人達は雪掻きをする人と、しない人にはっきりと分類が出来るらしい。各々が自分の家の前だけでも雪掻きをしてくれれば、住宅が隣接している都区内では除雪された部分がつながり、一つの通りが随分と人々が歩きやすくなるはずなのだが、それでもやっぱりやらない家はいつもやらないようである。

 そうすると、結局そこの家の前に残された雪は、最終的にカチンカチンに凍りついてしまう。こうなってしまうと最悪で、そこを通らなければならない人々や僕たち二輪車は、本当に慎重に行かないととんでもなく怖い目に合う事になる。

 それにしても、今回は都心部やその周辺地域で交通障害が発生するような積雪がなかったのは、ジョニーと僕にとって非常にありがたい事であった。

 

 雪が二日間続いていたのであえて外に出るのを控えていたのか、多くの買い物客でごった返しているスーパーマーケットの前を通り過ぎ、その先の信号を一つ越えると、店の前で雪かきしている吉村さんの姿が目に入ってきた。

「こんにちは~。吉村さん、オイル交換して~」ジョニーが挨拶をしながら、店の前に僕を停める。

「おぅ、ジョニーじゃないか、ちょっとご無沙汰だったなぁ。……タイヤ交換以来かな?」吉村さんが雪かきの手を止めて、軽く右手で腰をさすりながら笑顔で返事をする。

「そうだね……、半月ぶりくらいかな……」ジョニーも小さく照れ笑いを浮かべる。

ジョニーは無言で僕を店の脇の整備場出入口の方に回して、そこからバイクリフトに乗せていく。

 吉村さんは、いつも通りに効率よく作業が出来る高さまでバイクリフトを上げ、そしてエンジンの下にオイルトレーを入れる。オイルドレンボルトに17mmのメガネを掛けてから、軽く力を加えドレンボルトを緩める。オイルの排出が始まったところで、オイルフィラキャップを外す。まったく手順は変わらない。いつもながらのプロの仕事である。

「寒さのせいか、さすがのジョニーも少し走るペースが落ちたみたいだなぁ」排出するオイルを眺めながら、にっこりとほほ笑んで吉村さんが話しかける。

「寒さのせいとか、そういうんじゃないんだけどね……」ジョニーの返事は、なんとなく歯切れが悪い。

「カブ吉に乗り始めて七か月だろ……。それで17,000kmはバイク便ならともかく、普通のライダーじゃまず走らない距離だからなぁ~。この寒い中よく乗ってる方だよ……」新しいシーリングワッシャを手にした吉村さんが感心しながら言う。

「そうだね……、少し走り過ぎなのかもね……」ジョニーがぼそっと返事をする。

「おいおいジョニー、今日はどうしたんだ? なんか元気がないぞ。具合でも悪いんじゃねぇのか?」吉村さんは、ジョニーのあまりに元気のない返事にビックリして、慌てて聞き返した。

「いや、身体とかは大丈夫なんだけど……。なんかこう……、今ひとつスッキリしないっていうか……、何か違うんじゃないのかなっていうか……」などとボソボソ言いながら、やっぱりハッキリしない。再びジョニーが口を開く。

「まぁ、カブ吉に飽きたとか、決してそういうんじゃないんだけどね……」ビックリするような言葉がジョニーの口から急に飛び出したので、僕は『ギョッ!』とした。

 しかし、そうは言ってはみたものの、ジョニー自身も自分の気持ちを分析しかねているようである。吉村さんは、僕のオイルパンにドレンボルトを手で締め込みながら、そんなジョニーの心うちを察しているかのように穏やかに話し始めた。

「ホンダは、スーパーカブを販売し始めた翌年の1959年に当時世界一名高いレースだった『マン島TTレース』に挑戦し始めたんだ。まぁ、その年は125ccクラスで6位が最高だったが、2年後の1961年には早くも125ccと250ccの2クラスで優勝する。そして、それをきっかけに『CB72』『CB77』『CB450』という高性能なマシン達が次々と発表されていったんだ。それによって60年代初頭から中盤に掛けて、日本製オートバイが世界の中でどんどん評価を上げていったっていうのは、これはこれで一つの間違いのない事実だった訳だ。特に『CB450』に関しては、その当時最速と言われていた『トライアンフT120ボンネビル』に完全に照準を合わせて開発されていたんだな。レースからの技術的なフィードバックを持つホンダにしてみれば、650ccの『トライアンフ』を凌駕するのに必要なのは、DOHCのヘッドを持つ排気量450ccの並列二気筒エンジンで充分だったっていう訳だ。だけど、ホンダはここで大きな勘違いをしてしまう。それは、その時代の代表的な大排気量車である『トライアンフ』や『ノートン』の持っている性能をどんなに『CB450』が越えたとしても、欧米諸国では、『それは所詮450ccマシンの、単なる排気量を越えた頑張りに過ぎない』っていう評価にしかならないという事に、誰ひとり気が付かなかったっていう事だ。しかし、そんな世界の評価を目の当たりにして、初めてそれで『世界を代表するオートバイ』って呼ばれるには何が足りなかったのかっていう部分を、やっとホンダははっきりと理解したんだな。少し回り道をしたが、でも、それはそれで必要な事だったのかも知れない」吉村さんは、17mmのメガネレンチでオイルパンのドレンボルトを締めながら更に続ける。

「しかし、それに気が付いたホンダはすぐに新型750ccマシンの構想と開発に着手する。そして、1969年1月に満を持して『ドリームCB750Four』をアメリカで発表する。その勢いのまま、同じ年の8月には、いよいよ国内販売も始めちまったっていう事だ。あの『ナナハン』ブームの到来っていうやつだな。まぁ、普通に売ってるんだから、うまく乗れるかなんちゅうことを考えもせずに、当然買うやつは普通にいる訳だ。免許取っていきなり750に乗っちまうような連中が、その当時は結構いたりしたからな……。そうなると、その次に起きてくる事は何なんだろうっていう話しになる。そう、事故だよ、事故。そりゃそうだよなぁ、今まで誰一人として、そんな高性能でデカくて重いマシンに乗った事なんてないんだからな。その頃はカタログに最高速度200km/hとか、ゼロヨンのタイム12.4秒なんていうのを平気で載せていた時代だし、量産車でそんな性能持ってるマシンは他になかったからな。日産のGT-R(GC10型スカイライン)が最高速度200km/hをカタログに謳ってたような記憶があるけど、ゼロヨンは確か16秒台だったと思うな。要するに、そんな加速力を持ったマシンに誰も乗った事がなかった訳だ。そりゃあ、調子に乗って走ってりゃ、やっぱり事故っちまうよなぁ。本来オートバイってのは、テクニックも経験も何もねえ初心者ライダーは、小排気量車から順々にステップアップしながら乗って行く事が普通だったんだからな。そうじゃねぇと、マシンを全くコントロールする技術もないまま、そこらじゅうで事故って、大変なことになっちまうからな。それで、経験を積んである程度バイクを動かせるようになって来た時に、やっとオートバイの本当の面白さや奥行きの深さに気が付き始めるもんなんだよな。そして、幸か不幸かそのオートバイの魅力に憑りつかれちまったライダーは、自分にとってこれから先必要なのは、パワーなのか? 軽さなのか? バランスなのか? それとも、全く違うものなのかっていうような事を真面目に考え始める訳だ……」吉村さんは僕に新しいG1(800cc)を入れながら、ジョニーの顔を見つめてさらに続ける。

「だからいきなりデカイのに行っちゃったほとんどの連中は、それを乗りこなすテクニックも知識もないから、運よく怪我をしなかった連中はそんな事を何も理解しないまま四輪に移っていくかバイクを降りちまうってことが多かったんだ。しかし、それ以外の乗り続ける事を選んだライダー達はどうかって言うと、これもやっぱり一度大排気量車から中小排気量のマシンに戻って来るっていうことが結構多かったんだよな……。所詮この時期の大排気量車っていうのは、日本人より世界の大男達をターゲットに開発されてるから、パワーはあるけどデカイし重いし……。正直これを日本人が乗りこなすには、交通機動隊の白バイ達みたいにきちんと訓練を受けてないとなかなか難しいのかも知れねぇなぁ。まぁ、話しを戻すけどその中間排気量に戻って来る時に、標準的な日本人の体格を考えると、一体何ccくらいのマシンを選べばいいのかっていう問題がまた別にある訳だ。俺が思うには、ある程度身体に恵まれていて腕に自信のあるライダーは、パワーが幾分フレームより勝っている350ccから500ccクラスのマシンでいいんじゃねぇかって気がする。実際、このクラスを乗りこなすテクニックを持ったライダー達は、峠でパワーや重さを持て余す『ナナハン』達をカモにしてたからな。でも大多数のライダーには、それより少しパワーを抑えた250ccあたりがバランス的に調度いいように見えるな。パワーを抑えたとは言っても、250ccの排気量があれば、まず当時の一般の四輪車に負ける事はないくらいの動力性能は持っているし、峠の下りになればその軽さを生かして充分に『ナナハン』と対等以上の走りが出来るんだからな。まぁ、そうは言いながらも、逆に一般のライダーで250ccの性能をフルに使い切れているライダーなんて、そうそうお目にかかる事もなかったけどな……。そのくらい250ccの本当のポテンシャルっていうのは高いんだけど、その事に気付いていないライダー達がほとんどだったからなぁ……。本来なら、それをある程度乗りこなした上で、更なるパワーを含めた性能を求めて行くのか? 音だとか乗り味だとかの感覚に関わる部分を重視して行くのか? 舗装で行くのか土なのか? そんな様々な事を全部ひっくるめて、ライダー達は最終的に自分の感性を揺さぶるマシンを選んできているはずなんだけどな……」そんな吉村さんの話しを聞きながら、ジョニーがようやく口を開いた。

「なんだかんだ言っても、結局排気量的には最後に250ccあたりに落ち着くって事なのかなぁ……。でも、確かにそうかもしれないね……。俺も言われてみれば、ずう~っと250クラスを境に、上に行ったり下に行ったり、随分繰り返して来たような気がするもんな……。カブ吉の前は若干排気量が足りないけどセローだったしな……、250前後のクラスがやっぱり基準になってたのかな……」そう言った後、自分が今まで乗って来たオートバイ達をふっと思い出したのか、どうやって乗り換える時にマシンを選んでいたんだろうとジョニーは考えているようだ。

「セローのパワー特性は比較的おとなしい方だからそれ程でもないが、基本的に250ccフルサイズのオフロード車をダートで全開にするっていうのは、オンロードでの750ccの全開走行みたいなもんだからな。まぁ、それはそれでまた別の大変さがあるけれど、特別な面白さもある訳だ。しかし、そんなことやってたジョニーが今回『スーパーカブ110』を選んだっていうのも、ちょっと不思議な感じがするな……。 で、結局のところはどうなんだ? カブ吉に対して何だかもうドキドキしなくなっちゃったんじゃねぇのか?」単刀直入に吉村さんが切り込む。

「えっ!?」ジョニーは、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「……覚えてるだろ? 最初にCB750Fourに乗った時の事。ライダーの前に佇む巨大な17リットル入り燃料タンク、そのタンクの下から更に横に大きくはみ出して目に飛び込んで来る空冷並列四気筒OHCエンジン、挑戦的にライダーに向かって角度を付けられた220km/hフルスケールのスピードメーター、強力な制動力を想像させる大径ディスクブレーキ、四本のマフラーから排出される吠えるようなエキゾーストノート、そんなすべてに、みんな心を鷲掴みにされちまったんだよな……」吉村さんは、自分自身が初めてCB750Fourに乗った時の事を、一つひとつ思い出しながジョニーに語り掛ける。

「本当にそうだったね……。 ほのかに感じるガソリンの匂いと、あの巨大なタンク、736cc並列四気筒エンジンの圧倒的迫力、強烈な排気音、ライダーのみんながその全てにやられちゃってたんだよねぇ~」ジョニーも遠い昔を思い出すように話しを続ける。

「そうかぁ……、今までマシン乗り換える時って、いつも何か新しいドキドキを探していたのかも知れないな……。更に刺激的だったり、今までとは全く正反対なものを求めていったっていうのは、正直あるのかも知れないねぇ……」そんなジョニーの話しを聞きながら、吉村さんが確信に触れて行く。

「カブ吉を選ぶ時はどうだったんだい? やっぱりドキドキしてたのかな?」

「そう言われると困っちゃうけど……、速さとかコーナーリングとかの性能面じゃなくて、昔から考えていた『バイクで日本一周』っていう夢をかなえる為のマシンを、ようやく手に入れたっていう意味ではドキドキしてたと思うな……」ジョニーは、僕に乗ろうと決めた当時の気持ちを思い出しながら答える。

 それを聞いた吉村さんは、普段あまり見せない真面目な顔つきで静かに話し出した。

「07カブってやつは、フロントサスペンションがテレスコピックになったり、四速になったり、ウィンカースイッチが左側に移ったりしただけじゃなくて、昔のカブ90と比べても同じスーパーカブというくくりの中じゃなくて、どちらかというと普通のオートバイに近い気がするんだよな。ジョニーも乗ってて、そこら辺は何となく感じてるんじゃないかと思うけど……。でも、そうやって普通のオートバイとして考えたり比べたりしてしまうと、加速性能やコーナリングとかサスペンションの性能なんかも、普段使いでは取りたてて問題はないけど、どれも決してスゴイというレベルのものじゃあないよな。だから、逆にその性能の部分だけで考えてしまうと、非常に中途半端なマシンのような気がしてきちゃうんじゃないのかな……。だけど、ここで忘れちゃならないのは、07カブは確かにカブの中では歴代最高の性能を持ってはいるけども、やっぱり基本は今までと同じで『ちいさな働く商業車』なんだっていうことだ。そして、その一番の役目は、一人の人間とちょっとした荷物を、どんな時でも自在に確実に運べるっていう事が最も重要な役目であるっていう事なんだ。だけど、ここで今一度考えなきゃいけないのは、もし本当にそれだけしかなかったとしたら、この『スーパーカブ』は一体どうして現在まで生き残っていられたのだろう? っていうことだ。 他のメーカーから新型の商業車が出たり、それ以外のちょっとしたきっかけで、とっくの昔に他の新しい物に取って代わられたっておかしくなかったんじゃないだろうか? っていう疑問も湧いて来る。でも、実際はそうはならなかった……。この『スーパーカブ』が、結局50年以上にも渡って基本設計を大きく変えずに生きてこられた理由っていうのは、一体何だったんだろう?」 吉村さんは更に続ける。

「このカブの本当に凄いところは、『これに毎日乗る働く人達を、飽きさせない、嫌な気持ちにさせないっていう非凡さこそが一番重要なんだぞ』ってぇことをキチンと分かってる人たちが設計し、そしてそれを造ったって事なんじゃないのかな……。皆が乗る商業車とは言っても、全員がオートバイが好きな訳じゃない。その乗っている人達が満足をする為には、確実に稼ぐための機動力とか耐久性や経済性が重視されるのは当たり前の事だけど、実は本当に大事なことは、必要以上に大きすぎたり、重すぎたりしてないのか? 二輪の楽しさを感じる事が出来るのか? これに乗れば楽しく働けるのか? いつでも少年の時のような気持ちに戻れるのか? なんていうところまで含めて、結果的にその満足につながっていったのかもしれないな。そして、そんなちょっとクスってくるような部分も全部ひっくるめて、それが思想として、また遊び心として、このカブの根底に脈々と流れ続けているからこそ、皆がいつまでも刺激を受け続けて楽しく乗っていられたんじゃないのかなぁと思うんだ……。まぁ、何から何まで足りなかった時代に『スーパーカブ』が突如現れたときの衝撃と比べちゃいけないけどな。どんどん便利になっちまった今の時代では感じる部分っていうのが微妙に変化しているのかもしれないけど、その『スーパーカブ』が持っている『非凡』な魅力に気付いている人間たちは、間違いなく確実にいるっていう事だ。だから、今だに綿綿と乗り続けられているっていう事なんだろうな……」吉村さんは話し終えると、コーヒーを一口ごくりと飲んだ。

 ジョニーは正直ビックリしていた。吉村さんの話しを聞いているうちに、自分の中に存在していたカブ吉とのモヤモヤした距離感が、すっと消えて行ってしまったのだ。とても良く出来ているが故に、気が付かない内に普通のオートバイのように感じ、また比べてしまっていたのかも知れない……。たった109cc(鶏卵、約2個分)のシリンダ容積しか持たないのに、ジョニーの様々な要求に応えながら一生懸命走ってくれる『スーパーカブ』である。名前の由来通り、小さいながらも、本当に十二分に応えてくれる頼もしい相棒なのだ。

「吉村さんは、やっぱりスゴイね……。 俺が何に引っ掛かっているのか、大体分かっちゃうんだよな」ジョニーはすっきりした顔をして吉村さんに話し掛ける。

「なぁに、そんな事もねぇさ……。それに、今してた話しにしたって、ほとんどが誰かが言ってた話しを聞きかじった受け売りだしな~」吉村さんが優しく微笑みながら返事をする。

「でも、初代C100の色をどうやって決めたか? なんていう話しは、俺は間違いなくそういう部分の話しだと思うけどな~」吉村さんが意味ありげに微笑みながら言う。

「えっ? それってどんな話しなの?」ジョニーはすかさず聞き返す。

「あれっ? ジョニー知らねえのか?」吉村さんは、嬉しそうに再び話し始めた。

「車体のブルーは、海と空をイメージしたものなんだそうだ。日本は島国でまわりを青い海に囲まれている。それに、ちょいと見上げれば青い空だ。ブルーは日本人にとって親しみのある色なんだ。スーパーカブは、女性も含めて庶民の乗り物だから凝った色じゃなくて、親しみの湧くブルーにしようと思ったんだそうだ。それから樹脂の部品については、その素材の雰囲気がより伝わるように、色を変えて、柔らかさと明るさをもった配色構成を考えたらしいんだな~。シートの紫がかった赤なんて、映画『旅情』の中でイタリアのベネチアングラスの紫がかった赤に光があたって美しく輝くシーンがあって、それで思いついたっていうんだからな~。少し青みが入った赤なら、車体のブルーとのマッチングがよくなるだろうなんて、やっぱりキチンと考えてるんだよな~。それにしても、あのベニスの骨董屋で赤いベネチアングラスを買うシーンは良かったよな~。本当にキャサリン・ヘップバーンっていうのは、素敵な女優さんだったよなぁ~。なぁ、ジョニーもそう思うだろ?」映画好きな吉村さんは、顔に満面の笑みをたたえながらジョニーに尋ねる。

「……、そうだね。……、素敵だったね……」ジョニーはこのまま話しが違う方向に行ってしまう事に若干の不安を感じながら、あいまいに返事をする。

「そんなに心配するなよ、ジョニー。大丈夫だ、そっちの話しはまた今度にするよ」吉村さんは、アッハッハと笑いながら、次にカブのもう一つの凄さについて話し始めた。

 吉村さんが言うには、スーパーカブは発売開始から50数年になるが、基本設計を大きく変えることなく現在まで販売が継続されているエンジン付きの乗り物なんて、世界中を見渡してもそうそうある物じゃないらしい。唯一比較できるとしたら、四輪車ではあるが、僕の先輩達がデビューする20年も前の1938年に生産を開始したフォルクスワーゲン1型くらいのようだ。この誰もが知っている英語圏では『ビートル』という愛称で呼ばれる車輛は、1972年2月に累計生産台数1500万7034台を記録し、それまでのフォード・モデルT――日本での通称はT型フォード――が持っていた生産記録を塗り替えただけでなく、1978年に本国ドイツでは生産終了となったものの、需要の多かったメキシコでは2003年7月まで生産が継続され、最終的な生産台数は約2153万台にもなったそうだ。また、基本設計を大きく変えずに65年もの間、製品寿命を保った四輪車は現時点ではほかに存在しないという事である。しかし、その65年という偉大な販売継続年数にこそ現時点ではまだ敵わないが、その記録に勝るとも劣らないと言われているのが、僕たちカブシリーズの累計生産台数である。1958年8月の生産開始から2008年4月までの約50年間で、6000万台を超えたと報告されている。更に2011年2月の今現在では、恐らく7000万台に近い生産台数になっているであろうと予想される。この数字は実は大変なもので、基本設計を変えていないエンジン付きの乗り物では、世界最多の生産台数記録になるという事である。

「なんだか、また普通の感じで乗れそうな気がしてきた……」ジョニーがポツリと囁く。

「ほう、そりゃいいな。何でもあまり期待が大き過ぎると、そのギャップを埋めるのが大変だからな」吉村さんがさりげなく返事をする。

「自転車から50ccに変わって、そのあまりに劇的な動力性能の差に大きな衝撃を受けた事を忘れちゃいけないんだよね……。だって、当時はまだ運転もうまく出来ないくせに、『この50ccさえあれば世界征服も夢じゃない! 全ての物が手に入るんだ!』くらいの感じがしてたもんなぁ」ジョニーは遠い昔を思い出しながら懐かしそうに話す。

「まぁ世界征服は無理だけど、世界一周なら50ccで結構やってる人間もいるし、出来ない事はないと思うけどな」吉村さんがにこやかに微笑みながら言う。

「世界一周かぁ……。あまり考えた事なかったなぁ……。 日本一周だって、47都道府県を全部まわると2万kmくらいすぐにいっちゃうだろうし……。やっぱり世界一周するとなると、なんだかんだで20万kmくらいは走っちゃうのかなぁ?」ジョニーが頭をひねりながら言う。

「そうすると、ジョニーが定年までこのペースで走って行くと、少なく見積もっても10万kmは越えてるだろうからなぁ……。その後、日本一周して世界一周だと……、カブ吉はこのままジョニーに乗られてると、間違いなく30万kmは走るはめになるんだろうなぁ~」吉村さんが笑いを嚙み殺しながら、僕の方をチラリと見て言う。

『えぇっ!? 30万km!?』僕にとって、今日二度目のビックリである。

「そうかぁ……。結局カブ吉一台で頑張ると、最終的にはそのぐらい走るようになっちゃうのかなぁ? そのうち『月』まで届いちゃったりしてね~」ジョニーがつづける。

「そうだなぁ~、『月』って~ことは、……約38万kmかぁ~。それも、おもしろいねぇ~。 うちの店でカブを買ってくれたお客さんで、今まで一番距離走ったっていうのは、確か15年くらい乗って13万kmくらいが最高だったと思うなぁ……。その約3倍ってことだよなぁ~。なんか、そこまで走ったカブっていうのは、実際見たことないような気がするなぁ~」

吉村さんはそう言いながら、記憶の糸を辿っているようだ。

「カブを買ってくれるお客さんたちは、基本的に大事に使ってくれる人がほとんどだから、乗ってる年数もけっこう長いお客さんが多いんだよな。でも、その使い方は、やっぱり近所の仕事用だったり、通勤用だったりするから、距離は実際あんまり伸びないことが多いんだ。それに比べると、バイク便に使われているVTとかCBとかのマシン達は、結構20万km以上走っているのもいるけど、短期間に一気に距離が増えて行く感じだから普通とは使い方が全然違うんだよなぁ……。月間5千kmをコンスタントに走ると、2年目にはもう12万km越えだしなぁ。だから、エンジンとか樹脂部品やゴム類の劣化より先に、駆動系や操縦系のベアリングなんかがダメになっちまったりする事の方が多いんだよな」吉村さんはそんなことを教えてくれる。

「そうすると、そのマシン全体の総合的な耐久性の判断っていうのは、実は使用年数と走行距離とのバランスがうまい事取れていないと、本当は難しいのかもしれないな……。 俺も今までは少し走り過ぎの感じがするけど、そろそろ月間2千kmくらいのペースに落ち着いてきたからね……。まぁ、そのくらいを基準として考えてみて、掛ける12か月で年間2万4千kmだよね。それを、えっと……16年間続けて、やっとこさっとこ38万4千kmだよ……。あれっ!? ちょっと待って! それってなんだかカブ吉の耐久性より、まず自分自身の耐久性の方にすごく問題があるような気がするんだけど……」ジョニーはそう言った後、真面目に不安そうな顔をしている。

「ハッハッハ、本当だなぁ。こっちがどこまで付き合えるのかが、逆に微妙なところだなぁ~」吉村さんが笑いながらそう答えると、一瞬間をおいてジョニーもプッと吹き出した。

「ジョニー、冗談じゃなく本当にそのくらいの所に目標をおいて、チャレンジしてみたらどうだ? ただでさえ『07カブは昔の鉄カブに比べると、耐久性は劣っている』ぐらいの事を平気で言う口の悪い連中もいるんだから……。じゃあ、その連中がみんな鉄カブを10万km、20万km乗ってるかっていったら、そんな事もねぇだろうしな……。まして、30万km走ったカブなんてそうそうないんじゃねぇのかなぁ? 実際いけるんっだったら、俺もそんだけ走り込んだカブ吉を見てみたいしなぁ」吉村さんが真顔で言う。

「え~っ!? まじで言ってるの~? 絶対先に俺の方が壊れちゃうよ~」ジョニーは眼を真ん丸く見開いたまま返事をする。しかし、そんなふうに言いながら、意外にもジョニーがまんざらでもない顔をしている事を、僕は見逃さなかった。

「まあ、最初に決めた、『過剰な整備をする事無く』っていうのがあるからな。エンジンが調子悪くなったってオーバーホールさえしちまえば、いくらでも走るのは分かってるんだから、エンジンにはいっさい手を入れないでって事だな」吉村さんがサラリと念を押す。

「そうだね。オイルも高くて評判のいいオイルじゃなくて『純正』でね」

「なに言ってるんだジョニー、G1もG2もスゲーいいオイルなんだぞ~」吉村さんは笑いながらジョニーをどやしつける。

 その後二人は、それなら今後乗り手としての自分自身のメンテナンスをどうしていったらいいのかという最大の問題について、深く掘り下げつつ楽しそうに会話を続けている。

 そんな中、ジョニーがちょっと真面目な顔に戻り、ここのところ考えていた事を話し始めた。

「実は今年のゴールデンウィークに、久しぶりに中距離ツーリングに行こうと思ってたんだ……。カブ吉の装備もほぼそろったし、あとは連続走行をする時のペース配分だったり、カブ吉と自分のへたばり具合の確認が出来ればいいなぁと思ってさ……」

「……ふぅ~ん、やっぱりそうだったんだぁ。 今年は、『5月2日と6日に休暇を取れば十連休!』なんて世間は騒いでいるようだから、ひょっとすると、ジョニーもカブ吉のテストでどっか行こうと考えているんじゃねぇのかって思ってたんだよ」吉村さんは、やっぱりなっていう顔をしながら返事をする。

「でも、今日話しをしたモヤモヤした気持ちになっちゃったら、何だかあまり気分が乗らなくなって来ちゃってさぁ……。どうしようかな~? なんて思ってたんだ……」ジョニーは結構まじめに悩んでいた事を正直に告白する。

「っで、今回はどこに行こうと思ってたんだ?」吉村さんはそれ以上話しが重くならないように、さらっと行先を尋ねる。

「うん、大台ヶ原っていうところに行ってみようと思ってたんだ。昔から一度行ってみたくって、ずうっと気になってた場所なんだ……」ジョニーが答える。

大台ヶ原って、……あの紀伊半島の秘境って言われている、めちゃくちゃ雨が多いってとこか?」吉村さんが聞き返す。

「ビックリしたな~、さすがに吉村さんは物知りだね。そうなんだよ、『ひと月に32日雨が降る』って言われている場所なんだ。一時間に50mmの雨っていうと、バケツをひっくり返したような大雨って言われてるんだけど、普通そういう状態はそんなに長く続かないものなんだ。でもこの大台ヶ原は、その降雨量が一日で844mmっていうとんでもない日本記録を持ってるところなんだ……」ジョニーはその場所についての説明を、ポイントをまとめて吉村さんに伝えた。

「またスゴイところを選んだな……。ジョニーらしいって言えばそんな気もするが……。それで、そこに行くルートは大丈夫なのかぁ? ぬかるんだダートの林道を延々と走らないとたどり着かないようなとこじゃねえんだろうな?」吉村さんは心配そうだ。

大台ヶ原ドライブウェイっていう道路がちゃんとあるから大丈夫だよ。その道路は、紀伊山地の脊梁って言われている大峰山脈の東側を南北に抜けている国道169号線の奈良県吉野郡川上村っていう所から入って行くんだ。ただ、調度その分岐点になってた場所が、4年前の2007年に大規模な土砂崩れで崩落しちゃったんだよね。それで、今はその場所を回避するために和佐又(わさまた)トンネルっていうのが新しく出来ているみたいで、今度はそのあたりから大台ヶ原ドライブウェイに行けるようになっているらしいんだ。途中道幅の狭いところはあるみたいだけど、もちろん全線舗装で約17km先の大台ヶ原ビジターセンターまでつながっているっていうから、全然問題ないと思うよ」ジョニーが答える。

「そうなんだ……。いずれにしろ、かなり山深いところだし、まだ時間も充分あるんだから、どんなツーリングにするのか、行く前にもう少し調べて計画を練っておかねぇとな~」吉村さんはちょっと安心したのか、今度はツーリング全体の行程を気にしてくれる。

「そうだね、時間はまだたっぷりあるからね。もう少し大台ヶ原の前後にどこを走って、それをどういう具合につなげて行くかっていうのを、まじめに考えてみないとね」

 

 その日はそんな話しを最後に、ジョニーと僕は吉村さんのお店を引き上げた。僕としてはこの半月ジョニーが何を考えていたのかが分かって、とても良かったと思っている。やっぱり一緒に走っていれば、いま乗り手の気持ちがここにあるのか? それともないのか? なんていうのは、どうやったって分かってしまうものだからね。

 でも多分これから先は、また今まで通りのジョニーに戻って、

『カブ吉~、さぁ今日はどこまで走ろうか?』なんてワクワクするような事を言ってくれるようになると、ちょっぴり嬉しいんだけどな……。

 まだまだ寒くて燃費は今一つ伸びないけど、僕も約1万8千km近くを走って来て、なんだか最近は今までよりエンジンが軽く回っているような気がする。きっとこれは、ジョニーが出来るだけ毎日僕を動かしてくれている事と、吉村さんも含めてきちんと考えられたメンテナンスをやってくれているおかげだと思う。

 このペースで走って行けば、5月の連休前に、僕はおそらく2万kmを越えるだろう。そうしたら、そのタイミングで初めてのエアクリーナエレメント交換をしてもらおう。そして併せて5千km毎に交換予定のプラグも取り換えてやれば、吸気から排気までの『エンジン』に関する心配はまったくしないで良くなるはずだ。

 まだ、コースだとか全体の距離とかも含めてどんな計画になるか分からないけど、ジョニーが考えている『GWツーリング』を、きっと楽しいツーリングにしてみせる自信が僕の中にどんどん湧いて来ている。

『ジョニー! ぜったい素敵なツーリングにしようね!』 

 僕は心の中で力強く誓った。

 

2011年2月末現在 全走行距離 17,798km

(2月参考燃費 55.32km/ℓ)

月まであと、  366,602km