スーパーカブ 耐久チャレンジ

JA07型スーパーカブの耐久性を検証するブログです。

2021年6月 カブ吉くん 近況報告

 皆さまこんにちは、スーパーカブ耐久チャレンジの管理人です。

 

 今月はカブ吉くんの近況報告の前に、半世紀以上前に実施された第18回オリンピック競技会(アジア地域で初めて開催されたオリンピックで、一般的に東京オリンピックと呼ばれています)の話しから始めたいと思います。

 

 1964年10月21日(水)の午後に、ジョニーさんはお父様と一緒に中央線の千駄ヶ谷駅から西に少し離れたところで、誰からか配られたのであろう日の丸の小旗を手に持って、歩道の群衆の中に身を置いていました。

 何故、ジョニーさんがこんなところにいるのかを説明をすると、それは単純にジョニーさんのお父様がオリンピックのマラソンを観たかったからにほかありません。

 さすがに57年前のジョニーさんの記憶なので、はっきりとしないところが多々ありますが、恐らくマラソン国立霞ヶ丘陸上競技場(以後、国立競技場)の中に入らなくても観戦できるという事で、当時新宿西口のションベン横丁(現在の思い出横丁)の南端の雑居ビルで仕事をしていたジョニーさんのお父様は、その日の仕事を半ドンにしてジョニーさんを連れて、ここまで移動して来たものと考えられます。

 この第18回東京オリンピックのマラソン競技(この当時はまだ女子マラソン競技は行われておりません。女子マラソンは、1984年の第23回ロサンゼルス大会が最初になります)のコースは、国立競技場をスタートして千駄ヶ谷駅前を通り過ぎ、明治通りを右折して新宿方面に向かいます。そして、新宿四丁目の交差点を左折して甲州街道に入り、その後は延々と甲州街道を下り込み調布市飛田給(現在の味の素スタジアムのあたりです)に設置された折り返し地点を目指します。そこで折り返してからは、往路を逆走するかたちで再び国立競技場に戻る42.195kmのコースとなります。

 

 たぶん時刻は午後3時を少し過ぎた頃でしょうか? 国立競技場の西側を通っている明治通りの方向から、どよめきのような人々の歓声が聞こえてきます。

 当時6歳だったジョニーさんの目の前を、先導の2台の白バイが通り過ぎた後、褐色の痩身のランナーが風のように走り抜けて行きます。オリンピック・マラソンでの2大会連覇は不可能と言われていた時代に、この数分後に世界最高記録で連覇の偉業を成し遂げるアベベ選手(エチオピア)の雄姿です。

 もうジョニーさんのお父様をはじめ、周りにいる人々は大騒ぎです。そして、この騒ぎは次のシーンでもっともっと大きなものに変わって行きます。

 アベベ選手が通過して行ったその数分後、次に現れたのはなんと日本人のランナー円谷幸吉選手だったのです。この出来事に、千駄ヶ谷駅周辺の興奮は最高潮に達します。

 しかし、この興奮はいくらも時間の経たぬうちに急速に鎮静化に向かいます。その日本人選手のすぐ後ろには、筋肉の付き方が明らかに日本人選手とは異なり、ひと回り程も大きなしっかりとした身体つきの白人ランナー(英国・ヒートリー選手)が迫っていたのです。

 

 結果的には、国立競技場のトラック内に入ってから円谷選手はヒートリー選手に抜かれて3位となってしまいます。しかし、ひたむきな努力と生真面目で真っ直ぐな姿勢によって、ちょっとずつちょっとずつ力を付けてきたこの24歳の青年の力の限りを出し尽くした結果の銅メダルに対して、日本中の多くの人々から熱烈な喝采が送られました。その時の民衆の胸の中には、多くのものを失ってしまった敗戦からの復興をようやく成し遂げ、アジア初のオリンピックを開催するまでになった日本の成長と大きく重なる部分というものがあったのかも知れません。

 1955年(昭和30年)頃から始まった高度成長も、このオリンピックを更なる特需としてタイミング合わせます。こんな風にいろいろなものがうまく重なって来ると、世界に対して日本の復活を示したいという気持ちを誰しもが持ってしまうものなのかもしれません。

『お国のため』や『国の代表』、『国民の願い』などの言葉が妙に力を持ち始めると、民衆というものは子供のような純粋な残酷さで、ヒーローに次回の勝利を求めるようになります。悪気がないのはよく分かるのですが……。

 しかし、オリンピック以降は自身の体調の問題も含め様々な事情によって自分本来の走りが出来なくなり、その期待に応える事が難しくなった事を非常に悩んでいた円谷選手は、メキシコオリンピックの年の1968年1月9日に、練馬区陸上自衛隊練馬駐屯地内の体育学校宿舎にて自らの命を絶ちます。

 これは、当時のジョニーさんにとって、とんでもなく衝撃的な事件となりました。千駄ヶ谷でジョニーさんの目の前をあのアベベ選手を追走して必死に走っていった円谷選手は、当時のジョニーさんにとっても、本当に特別なヒーローだったのですから……。

 

 さて、あれから57年の歳月が経ちました。昨年から世界中を混乱させている新型コロナウイルスの影響で一年遅れではありますが、来月にはどうやら東京2020オリンピック競技会(正式には第32回オリンピック競技大会)が実施されるようです。

 前回のオリンピックでも、開催が決まってから(1959年に決まっています)施設も道路もたくさん造らなければならないという、その開催を疑問視する声は数多くの方々が挙げていたようです。それは『目の前の自分たちの生活をやりくりするのが精一杯で、この国にはまだまだそんな事をしている余裕はないと思う』という当時の国民感情が反映されたものでした。

  しかし、この二回目のオリンピックを開催するにあたり、現在の日本の多くの国民の気持ちは前回(1964年東京オリンピック)の開催の時とはまた違った意味で、大変な心配をされているのだと管理人は思います。

  某国の首相が、さかんに『東洋の魔女』、『ヘーシンク選手』、『アベベ選手』などの名称を使ってその時の感動を伝えておりますが、その開催が終わった後は、結局大盤振る舞いの反動で不況に陥り、会社の倒産等が相次いだそうです。そして、その不況を解消するまでに4年間の期間を使っています。

 先ほどお話しさせて頂いた円谷選手の話しもそうですが、どうやらこのオリンピックというものにも、良い所と悪い所がちゃんとあるようです。

 我々はその事を忘れることなく、きちんと目の前で起こっている事を見て、そして深く考えて行かなければならないのだと思います。

 

 さあ、今回は一体どのように事になるのでしょうか?

『人類の英知を結集して、世界に発信』をされている所に大変恐縮ではございますが、当ブログとしてもこの期間が大過なく無事に過ぎてくれることを祈念しております。

 

 

 お待たせしました。それでは、カブ吉くんの6月近況報告を始めたいと思います。

 まず、今月のジョニーさんとカブ吉くんの走行エリアですが、梅雨の時期にもかかわらず東京都区部から埼玉県南部及び西部、神奈川県県央地域から湘南地域へと、幅広く走りまわっておりました。

 月間走行距離も、6月としては最高距離となる2,282kmを走行しています。この『2,282km』という距離は、実は2019年6月に記録していた数値と、偶然にもまったく一緒なのです。これを後から知ったジョニーさんは、

 

「失敗したな~、それ知ってたら最後に燃料入れる時にもう少し遠回りしてから入れたのにな~」

 

などと、悔しがっておりました。

 しかし、月間平均燃費は64.74km/ ℓ という非常に良い値が出ています。過去の6月最高燃費が2013年に記録した61.88km/ℓ ですから、実に2.86km/ℓ も上回ってしまったのです。

 昨年の7月くらいから突然始まったこの好燃費ですが、カブ吉くんの11年目のスタートとうまく重なり、この6月でちょうど一年間好燃費が続いたことになります。

 来月からは12年目が始まる訳ですが、はたしてこの好燃費は一体いつまで続くのでしょうか? ドライブチェーンの交換が、燃費に間違いなく良い影響を与えているのは分かっているので、特に雨中走行が増えるこの梅雨の時期は、ドライブチェーンメンテナンスをするジョニーさんにとっては、気が抜けない時期のようです。

 タイミング悪く遠くまで走らなければならない日に大雨が重なったりすると、チェーンカバーが装着されているカブ吉くんでも、チェーンのオイルが流れて錆が浮いてきたりする事があります。一年中走っているマシン達のドライブチェーンにとっては、この季節がやっぱり一番の大敵なのかもしれません……。

 大雨の中の走行が二日間続いたりする時は、ジョニーさんは疲れているにもかかわらず、夜遅くに家に到着してからでも、カブ吉くんのドライブチェーンに歯ブラシを使って給油をします。それを怠ると、経験上ドライブチェーンのローラーがすぐ固着してしまうのをジョニーさんは知っているからです。

 今年は今まで使っていたレインウエアがダメになってきたので、ジョニーさんは決して高いものではありませんが、レインウエアを新調しました。今回の梅雨の期間でもすでに何回かどしゃ降りの中を走行していますが、まったく内側に雨が滲みて来る事はないようで、ジョニーさんはとても喜んでいます。

 梅雨が明ける7月半ばくらいまでの間、もう少しの辛抱となりますが、もともとジョニーさんは雨中走行が苦手なタイプではないので、ちゃんとしたレインウエアさえあれば、それだけでご機嫌なのです。

 ただ、晴天に比べて視界が不良なのは間違いがないので、特に雨天の夜間走行はジョニーさんも含めて、皆さまも充分にお気を付け下さるようにお願い致します。

 

 さて、最後になってしまいましたが、バルブステムシール交換後の状況を報告させて頂きます。

 マフラーからの排煙は、まったく無くなっている訳ではありません。やっぱり、非常に頻度は少なくなりましたが、長い下り坂などをスロットルを戻した状態で走っていて、たまたま信号で止まったりすると、オイルの焼ける臭いと共にマフラーから排煙が確認されたりしています。

 当然、エンジンオイルも若干消費しているようです。6月の下旬にカブ吉くんのオイル交換をする際に、排出前のオイルレベルを確認してみると、オイルレベルゲージの『ローレベル(下限)』まで下がっていました。 しかし、この一か月間くらいのデータだけで判断をしてしまうのは、いささか気が早過ぎるだろうと、ジョニーさんも吉村さんも考えているようです。

 エンジンオイルに熱的な負荷が一番かかるであろう、梅雨が明けた7月から8月の猛暑の中で、どのような事になって行くのかを二人は結構楽しみにしているようです。

 吉村さんはジョニーさんに向かって、「もっとデータ取りたいから、手加減しないで、ガンガン走れ」と言っているようですが、暑い中を走るのがどんどん辛くなって来ているジョニーさんは、それに対して返事をしませんでした。

 相変わらずのコンビネーションですが、もう少しの間はこの修理に関しての結論は出て来ないと思われます。

 

 また、大きな変化がありましたらすぐに報告させて頂きますので、宜しくお願い致します。

 

 それでは、今月も長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

また、来月お会いしましょう。

                                   管理人

 

2021年6月末現在 全走行距離 272,426km

(6月走行距離 2,282km 月間平均燃費 64.74km/ ℓ )

月まであと 111,974km